出逢いは、何かの選択と、何かの選択の結果。私が選択しなければ、あなたに出逢うことはなかった。これは、相手にも言えること。つまり、双方の偶然の選択の結果、こうして出逢えたわけである。毎日、当たり前に顔を合わしている相手は偶然の出逢い。毎日が奇跡。
「ありがとう」「ごめんね」「愛してる」この3つの言葉を言うため、言われるために僕たちは必死に生きている。この3つの言葉を得るために、僕らはすごく遠回りしている。遠回りして、回りくどくして、難解にしてこの言葉を表現している。もう、目の前に答えはある。「ありがとう」「ごめんね」「愛してる」
という、未来の悩みで自殺するのだ。過去の悲観ではなく、未来の悲観で人は死を選ぶ。過ぎ去った過去を、変えることはできないが、これから来る未来は、変えることができる。自分の考えを少し軌道修正すればいい。少しの時間でいいから、自分のテンションの上がりそうなことを妄想する。好きな食べ物を食べる。好きな服を着る。好きな芸能人を思い浮かべる。その程度で人は生きられる。
死ぬことはないのだ。どうせ死ぬなら、楽しんでから死にたい。そう思うのが普通。逆に言えば、楽しみをたくさん作れば死にたいなんて思わない。小さな楽しみでもいいから作ってみる。「あれやりたいな」「これやりたいな」が人間の活動力。
石の上くらいなら、我慢すれば誰だって3年くらい行ける。10年となると、「我慢」じゃ続かない。好きも通り越して、生理現象と同じくらいの感覚でやってしまう。10年からやっとスタートできる。生理現象も通り越して、「息」と同じくらいの「気づかなさ」がプロだと思う。