2015年12月22日07時44分54秒0019_R


一見、欲深くなく、さっぱりとしてる感じがする。

しかし、本質は逆にある。

「どっちでも」ということは、
「自分で選択できないので、あなたが決めてください」という
ねっとりした依存だった。

実はどっちでもいいのではなく、
どっちも嫌なのだ。

どっちも嫌だから、
相手に選択を委ねてしまう。

本当に好きなものなら、自分と一体化させたいのが
人間。

  2015年12月22日07時44分54秒0018_R
それは無意識のレベルの努力なのだ。


「無意識のレベルの努力」
それは、もう努力ではなく、
日常生活行動。

もはや、
体の一部と化している。

それを周りが「努力!」
と言っている。

体の一部として
取り込めないのは、
自分の遺伝子が抵抗している証。

やりたくないなら、やらなければいい。

やりたかったら、やればいい。



  2015年12月22日07時44分54秒0016_R
負けなのだ。


「私と○○と、どっちを取るの?」
お決まりの名ゼリフがある。

迫った瞬間負けてしまう。
つまり、迫らない方が勝ち残るということ。

人間は自由を求めて生きている。
迫るということは、自由とは対極。

自分を取って欲しかったら、
自由を与えること。

自由を与えた結果が、
本来の姿。

  2015年12月22日07時44分54秒0015_R
理由は自分で考えろ」


今は効率の時代。
一人一人が機能しなければならない。

つまり、答えが解らない人に、
答えを教えなければならない。
勿体ぶっている暇ない時代。

けれど、その答えになる
「理由」は自分で考えなければならない。

その理由は仕事をこなしていくにつれて
解ってくるから。

点と点が繋がる感覚。

全て教えたら、身につかない。
全て教えたら、面白くない。

  2015年12月22日07時44分54秒0014_R
独りで落ちぶれていくよりも、
ずっと質が悪い。



独りなら、必死になり
回避できるかもしれない。

けれど、集団だと気持ちが大きくなって、
危機意識が無くなる。

それ以前に、集団の中にいたら
落ちぶれていくことに
気が付かないかもしれない。

気が付いたら、沈んでいた。
なんてことに。

安全の中のキケンは気づきにくい。

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