厚生省の「国民健康・栄養調査」で、所得の低い世帯ほど米やパンなどの穀類の摂取量が多く、野菜類と肉類の摂取量が少ないと発表した。野菜を食べようと思ったら、手間とお金がかかる。つまり、お金も時間もないと、お手軽な炭水化物でお腹をいっぱいにするしかない。野菜の摂取量と年収は見事に比例した。注)野菜を食べていれば、年収が上がるわけではない。
他人に復讐するためではなく、他人を赦すためなのだ。強いの反対は弱い。つまり、弱さを知っているから、強くなれる。強くなればなるほど、弱さをわかっていく。つまり、弱いは弱いだけだが、強いとは弱い。強いと人を赦せる。
マッチョで腰が低いのは、謙虚。どちらも表面的には、同じに見えるが・・・否、表面的にすら対極。ガリガリの謙虚は、卑屈に見えるが、マッチョの謙虚は、超謙虚に見える。本人は必死でも、周りから卑屈だと思われればそれは、卑屈以外何者でもない。これは、「卑屈」に限らずすべてに言えること。どう見られたか、がすべて。そして、どう見てるか、がすべて。自分の世界は他人には理解できない。理解する必要もない。
「心」が「亡」いで「忙しい」「貧しい」の「貧」という字は、「分」+「貝」という字で成り立っている。「貝」はお金や財産のこと。「分」は分散していくということ。心を亡くすと、散財する。心とお金は、連動している。
お洒落が発達したのだ。スッポンポンに自信がなくても、お洒落にお金をかければ、強くorきれいに見える。お洒落が発達するというは、それだけスッポンポンは退化したということ。逆に言えば、最強のお洒落とは、肉体そのものが、お洒落なこと。その深層には、「人間、表面より中身」だということが、本能的にわかっているから。お洒落好きほど、何かを隠している。