なことなのだ。常識を考えていたら、夢中にはなっていない証拠。夢中の最中は、常識も世間体も建て前も逸脱した境地。そもそも、考える間もなく、その境地へと踏み入れることができるのが、「夢中」非常識な自分の行動が、夢中になっている証拠。非常識な自分に気がつくことなく、我に返る。
「無我夢中」この無我は、「常識を捨てる」という意。常識を捨てると、夢中になれる。常識とは、建前のこと。建て前を捨てたとき、夢中になれる。建て前があったら夢中になるのは、難しい。夢中とは、我を忘れている状態。否、我に返っている状態。
・今はお話にならない実力なのに、 自信が全身に漲ってくる。・それ以外の事は、目に入らなくなってしまう。・一生を捧げたいと、一点の曇りもなく思うことができる。・どこか自信がなく、・周りの目が気になって、・迷ってしまうというのは、天職とは程遠い。自信があっても、迷ってしまってしまうなら、天職ではない。周りの目は気にならないけれど、自信がないことは、天職ではない。迷いはないけど、周囲の目が気になる。それも天職ではない。周りから、「浮いている」と言われても気がつかない。それが天職。
ではなく、今この瞬間だ。人生とは、今この瞬間が金太郎飴の如く、続いていくものだ。未来は今の延長線上にはなく、今が未来そのもの。今が一番の未来だから、未来というものがあるとしたら、今やっていることが、自分の未来ということになる。将来の夢を、今やってしまえば、叶ったことと同じ。夢とは、逃げる場所ではなく、今、この瞬間が夢そのもの。そして、今、この瞬間が一番尊い。
その仕事は、あなたの好きなことではない。仕事とは、傍から見たら「面倒くさい」ものでしかない。けれど、自分からしたら、「楽しいもの」でしかない。つまり、その仕事が面倒くさいと感じたら、自分目線ではなく、傍目線確定となる。傍目線ということは、「仕事をやらされている」ということ。他人のレールなのに、「自分のものにならない!」と駄駄をこねている。