善悪の問題はたいしたことではない。善悪は人間が創り出したもの。誰かにとっては善であっても、誰かにとっては悪である。善悪は、善でもないし、悪でもない。善とする人間がいて、悪とする人間がいるだけ。となると善悪は絶対的ではなく、相対的である。
努力をしながらも、それでも失敗してしまうようなことに挑戦し続けようとすることだ。「失敗しないように努力」していても、失敗してしまうことは、自分に無い部分。自分が想定できないことが、失敗という形になる。「自分に無い部分は、目には見えないので、それが視覚化する」という話。そこで終わらないのは、あきらめが悪いのではなく、潔い。全力を尽くした失敗に、本当の自分が潜んでいる。
思い込みのことだ。信念とは、信じて疑わないこと。自分の思い込みを信じて疑わないこと。疑うこともない、それが現実だと思っているから。疑うことはない、それが自分だと思っているから。信念とは、自分の有りのままの姿。
我慢しなくていいことを淡々と継続しているだけの話なのだ。我慢して継続するのではなく、我慢しないで継続できること。継続=我慢ではないというところ。「継続する」から入るのではなく、「継続してしまった」ことから入る。我慢すると寿命を縮めるので体は必死で拒絶しようとする。三日かけて止めさせようとする。