千田琢哉曰く、

2014年04月01日22時35分31秒_004

分を知る」というと、現実を突きつけられた感じがします。

けれど、「分を知る」という本当の意味は、
「自分の土俵を認識しなさい」ということです。

自分の得意のステージで勝負しなければ、
「分不相応」となります。

他人が苦労してクリアするものを、
難なくクリアしてしまうのが「自分の土俵」。

心から楽しいと思えることが「自分の土俵」。

千田琢哉曰く、
「さらに分を知らなければ、
 次にステージに引っ張り上げてもらえなくなる。」

成功するには、実力もさることながら
周囲からの応援も不可欠です。

分をわきまえて、頑張っている姿に
人は応援してしまう。








置かれた場所で咲きなさい。

                by渡辺和子









人間は今いるところからしか、スタートできません。

今いるところとは、「分相応」なところ。

上を見るのは大事なことですが、
足下を見つめ直さなくてはならない。

一歩は片足ずつ。

ゆうそ曰く、

2014年04月01日22時35分31秒_005

  千田琢哉曰く、

2014年04月04日21時57分43秒

「実力」が必要なのは誰だってわかります。

けれど、「許す力」が必要なのは
どうしてなのか。

それは、どんなに「実力」があっても
それと引き替えに「欠点」がある。

その人の中に、「いい部分」と「悪い部分」があるのと一緒で、
その人の中に、「実力」と「欠点」が備わっている。

それも、実力が高くなれば高くなるほど、
欠点も顕著になってくる。

相手の欠点を認めなければ、
相手の実力を引き出すことはできないのです。

相手の欠点を許すことで、自分の欠点も許される。

完璧はこの世に存在しないから、
「相手を許す」ということは、もはや人間の役割です。

千田琢哉曰く、
「ルパンがセクシーなのは、不二子の裏切りを
 「ごめんね、ルパン」の一言で許していくことだ。」

アニメ「ルパン三世」
ルパンは毎回、不二子に裏切られて
その都度許してしまう。

命の危機にも関わらず、許してしまう。

「実力」と「許す力」を兼ね備えているから
観ていておもしろいのです。









欺瞞し裏切る。これ人間生来の心根なり。

                 byソポウレス








裏切るというと、
「絶対やってはいけないこと」「やったらおしまい」
だと思う。

人間ルールではそうかもしれない。

けれど宇宙ルールではそうでないかもしれない。

その逆も然り。

正解は常に自分に委ねられる。

ゆうそ曰く、

2014年04月04日21時57分43秒_001

  千田琢哉曰く、

2014年04月01日22時35分32秒_002

常人なら、抜いた瞬間がすべてだと思う。

抜かれたら終わりだと思う。

けれど、人類が進化し続ける限り、
「抜かれないことはない」のです。

人類は「抜いた」「抜かれた」の繰り返しで今日の発展がある。

「抜いた」で満足してしまったら、人類はとっくに滅亡です。

千田琢哉曰く、
「抜かれた瞬間に落胆して立ち直れない人は、
 好きなことをやっていなかったということだ。」

抜かれてガッツポーズできるなら、それは本物です。

抜かれるのは日常茶飯事。

これ以上でも、これ以下でもありません。












落胆は絶望の母。

        byキーツ







落胆するのは、執着していたから。

執着するのと、好きなのはまた違う。

執着は義務感に駆られ、
好きは能動的です。

ゆうそ曰く、

2014年04月01日22時35分32秒_003

  千田琢哉曰く、

2014年04月01日22時35分32秒

これはどういう意味でしょうか?

行列嫌いだから、日常のあらゆる「行列」「混雑」を避けようとする。

満員電車を避けるには、どうしたらいいか?

テーマパークの行列を避けるにはどうしたらいいか?

行列嫌いが、イノベーションを起こします

千田琢哉曰く、
「苦痛から逃れるために成功して、
 自由な環境を確保したのだ。」

現実逃避が自由になれる環境を創った。

「嫌いなこと」「嫌なこと」の裏には成功が潜んでいる。

「好きこそものの、上手なれ」と言いますが、
「嫌いなものこそ、上手なれ」が本当かもしれません。








嫌いの中には、
好きの可能性があるものです。
   
          by糸井重里






誰しも、行列に並ぶのは好きではありません。

けれど、行列に慣れてしまうと、
それが段々普通になってくる。

我慢しなくても平気になってくる。

これが一番危ない。

行列に並んでいる姿が、奴隷が連れられていく姿に
見えなくては、本来おかしいのです。

ゆうそ曰く、

2014年04月01日22時35分32秒_001

  千田琢哉曰く、

2014年04月01日22時35分31秒_002

同じというより、すでにどちらを選んでも後悔する。

衝撃的です。

「どちらを選んでも後悔する!?」

衝撃を通り越して、成仏しそうです。

簡単な例えです。

外食したとき、ハンバーグ定食を食べるか
お刺身定食を食べるかで迷ったとする。

どちらも好物だとする。

ハンバーグ定食頼んだら、
「やっぱりお刺身定食がよかった・・・」と思う。

逆にお刺身定食を頼んだら、
「お刺身定食のほうが・・・」と思う。

どちらを選んでも満足するはずが、
どちらを選んでも後悔したのです。

要は自分が思った結果。

思った結果が事実になります。

それよりも千田琢哉曰く、
「そう考えると、自分が選んだ選択肢を
 とことん慈しんだほうが幸せだ。」

自分が選んだほうを大切にすれば、
後悔はなくなる。

自分が選んだほうを大切にしなければ、
後悔する。










どっちへ行きたいかわからなければ、
どっちの道へ行ったって大した違いはない。
 
                 byルイス・キャロル








大きな野望の一部だから、許せる。

小さな決断は大きな野望で包み込む。

方向さえあっていれば、結果云々。

すべてを通過点にしてしまう。

ゆうそ曰く、

2014年04月01日22時35分31秒_003

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