千田琢哉曰く、

携帯をうっかり忘れてしまった・・・。
なにやら、不安に駆られます。
けれど、無くても以外と不便には感じません。
むしろ、普段気が付かないようなことに、
出逢えます。
携帯電話に顰めっ面をしている人。
携帯電話とにらめっこしている人。
メールを打つ手が、何かに取り憑かれるたかのような人。
どれも、格好良さは感じません。
「普段、自分もこうなのか・・・。」
と気がつけます。
普段の自分の姿が顕在化されたようです。
千田琢哉曰く、
「あえて携帯電話を持たない日をつくる。」
不自由さの中に、本当の自由を見つけられる。
本当は、携帯しているのではなく
携帯されていただけ。
自由さの中の、不自由さに住んでいただけ。
人生を変えるきっかけというのは、
日常茶飯いろいろなところに転がっていると思うんです。
転がっているのに気づくか、気づかないか。
気づいたときに取るのか、取らないのか。
by向井千秋
「気づくか、気づかないか」は、結果論ではありません。
「気づくか、気づかないか」は、選択しているのです。
気づいたのは、「気づく」を選択したから。
気づいていないのは、「気づいていない」を選択したから。
ゆうそ曰く、
