生きてやろう。・・・明言。「死ぬまでは生きてやろう」この言葉にはじまって、この言葉に終わる。人は死に対して、消極的にならざるを得ないからあえて、積極的に生きてやる。どうせ死ぬのなら、死ぬまでは生きてやる。するとこんな感情が沸いてくる。千田琢哉曰く、「朝目が覚めたら、手のひらを合わせて ありがとう。」
「私が一番、あなたが二番」ということになる。千田琢哉曰く、「矛盾だらけのこの世を俯瞰してみるのだ。 するとすべての矛盾は辻褄が合っていることに 気づかされる。」誰かにとって、矛盾しているけど、誰かにとって、都合がいい。誰かにとって、都合がいいけど、誰かにとって、矛盾している。誰かにとって、不合理でも、誰かにとって、理にかなっている。俯瞰すると、平等。
指導されていることに気づく。指導しているということは、指導しなければならない状況があるということ。その状況をつくってくれたのは、指導される側の部下だったのです。その部下が優秀なら、そんな状況に巡り会えなかった。手の焼ける部下だったから、自分に指導力がついた。当たり前のことも、掘り下げると実は自分が助けれていたことに気づかされる。
5回先人式を迎えることができるということだ。なるほど。成人式が5回。それが人生だと。単純に年を取るのではなく、1回目の成人式、2回目の成人式というように、青春が20年毎にやってくる感じ。千田琢哉曰く、「人生の初心者たちが『よし、自分たちも長生きしよう!』と 熱くなることができる。」
ここだけの話、自分の土俵で活躍するのは、生き地獄ならぬ、逆を言えば、自分の土俵で活躍できなければそれこそ、生き地獄だと言える。自分の土俵ではないのに、しがみ続けていると生き地獄だと言える。そう考えると、いかに自分の土俵探しをするかが運命の分かれ道です。自分の土俵を見つけるには、好きなことをやるのはもちろん。同時に嫌いなこともやってみないと土俵は見つからない。人事尽くして、天命を待つ。