千田琢哉曰く、

2013年12月24日21時03分11秒

おもしろズバリ名言。

間違いなくそうです。

感情的になると人は声を荒げます。

話していてこちらが劣勢になると、
感情を剥き出しにして、相手を威嚇する。

千田琢哉曰く、
「声の大きな人間が幅を利かせることができる世界は、
 社会の底辺層だ。」

社会の底辺層は、頭を使わない代わりに
体を使わなければならない。

野生の世界に近いかもしれません。











この世の中に人間ほど凶悪な動物はいない。
オオカミは共食いをしないが、人間は人間を生きながらにして
丸飲みする。

              byフセーヴォロド・ガルシン





正に喰うか、喰われるか?

ただし人間社会の場合、殺さず生かさず、蛇の生殺しにされる。

知性を怠ると、生殺し人生。

ゆうそ曰く、

2013年12月24日21時03分11秒_001

  千田琢哉曰く、

2013年12月24日21時03分10秒_002

~犬バージョン~
「弱い犬ほどよく吠える」

~人間バージョン~
「ビビっている人ほどよく怒鳴る」

ビビると怒鳴るのはなぜか?

それは自分のキャパが越えてしまって、
正攻法では適わないから。

ちょうど、動物が「ガオー」と威嚇しているような感じです。

動物が威嚇するのは、強さを誇示するためではありません。
弱さを隠そうとして威嚇するのです。

威嚇して、相手が逃げてくれれば、戦わずに済むからです。

人間も動物だから同じこと。

千田琢哉曰く、
「知性を磨きながら教養を磨いていくと
 人は怒鳴らなくなる。」

知性で太刀打ちできなければ、怒鳴る必要がなくなる。








匹夫の勇

      byことわざ






怒鳴れば赦してくれる。

キレれば赦してくれる。

泣き叫べば赦してくれる。

みんな必死なのです。

ゆうそ曰く、

2013年12月24日21時03分10秒_003

  千田琢哉曰く、

2013年12月24日21時03分10秒

正論ほど正しいものはなく、
正論ほど間違ったものはない。

人間は正しさを追求するあまり、
何か大事なものを忘れてしまう。

物事の「大切さ」を忘れてしまう。

理論より、感情を大切にするのは
人間は感情の生き物だから。

相手が機械なら正しさが命。

相手が生身の人間なら大切さが命。

千田琢哉曰く、
「相手が何を望むのか敏感に察し、
 やり方を変えられるのが知性」

すべては、相手を想う心。

すべてのベースです。









相手のことを大切に思うのであれば
相手にとって大切なことを、あなたも大切に思う必要がある。
 
              byスティーブン・R・コヴィー






無人島で暮らさない限り、人との繋がりはなくなりません。

生きているだけでも、自然と繋がる。

相手を想う気持ちは永遠です。

ゆうそ曰く、

2013年12月24日21時03分10秒_001

  千田琢哉曰く、

2013年12月24日21時03分09秒_001

仕事をしていて、行き詰まったときは何をすればいいのか?

「知識や情報を収集する。」

「人に相談する。」

けれど、行き詰まったらジタバタせずに「原点回帰」

「なぜ?」をもう一回考えるのです。

「なぜ?」をもう一回考えることで、考えに奥行きがでます。

千田琢哉曰く、
「なぜを10回や15回続けるとなると
 知力というよりも体力の勝負になってくる」

「知力」の度を超えるには、体力勝負。

「体力」の度を超えるには、知力勝負。





第一線にいる人ほど、体力の重要性がわかっている。

                  by本田直之






「文武両道」といいます。

知力、体力共に向上しなければ、人は成長しない。

偏りでは、説得力がない。

お互いのバランスを取り合って成長する。

ゆうそ曰く、

2013年12月24日21時03分09秒_002

  千田琢哉曰く、

2013年12月24日21時03分08秒


「逆」とは常識を非常識として捉えてみるということ。。

その業界では常識とする事の逆をやってみる。

その分野での常識とする事の逆をやってみる。

すると、新たなアイデアが生まれる。

非常識を現実化するには、イノベーションが必要です。

千田琢哉曰く、
「逆に考えることができない集団は、
 現状打破のスタートラインに立てない。」

逆に考えることができないのは、
建前で「変わらなければ」と思っている。

本音は現状維持がいいと考えている。

現状打破する人は当にやっている。








逆に考えるんじゃ。ここから逆転できたらかっこいい。
そう考えられれば、お前さんは揺るがない。

               by江尻立真








逆転するには、いつも「今」しかスタートできない。

時代を変えたのはいつだって、非常識な瞬間。

非常識なスタート。

ゆうそ曰く、

2013年12月24日21時03分09秒

  千田琢哉曰く、

2013年12月18日23時12分48秒

褒め言葉なのだから、使えば使うほどいいような気がします。

けれど、それは全くのマナー違反。

というより、侮辱に近いのかもしれません。

褒め言葉の裏側には、否定的なニュアンスを含んでいるからです。

「頭いいですね」の裏側には、
「頭が悪い」というニュアンスを含んでいる。

「かっこいいですね」の裏側には、
「不細工」というニュアンスを含んでいる。

正解を追求するより、大切さを追求したいです。









素直だとか、子供のような心ってのが褒め言葉になってるしね。
でもそれは、単にガキってことだろう。
子供らしいなんて本当は良くないことなんだよ。

                    by北野武





「いいこと」がすべて正解とは限らない。

模範解答がすべて正しいとは限らない。

それに含まれる意味を、考えなければなりません。

ゆうそ曰く、

2013年12月18日23時12分48秒_001

  千田琢哉曰く、

2013年12月18日23時12分47秒_001

つまり、アマの延長線上には、アマの世界の頂点しかない。

アマの頂点を目指したら、プロになれるのではないのです。

アマはアマの世界。

プロはプロの世界。

もはや、住む世界が違う。

次元の違いがあります。。

千田琢哉曰く、
「アマの絶好調レベルのスコアを、
 プロは絶不調レベルで叩き出す。」

天と地の差。

わかりやすくすると、アマはただ働き。
プロはお金が発生する。

価値の違いです。










プロは読者が読みたいものを書き、
アマは自分が書きたいものを書く。

                  by作者不詳






プロは人に影響を与える。

アマは自己満足。

プロは人のために働く。

アマは自分のために働く。

プロは生涯を懸ける。

アマは趣味で終わる。

力の入れ具合の話ですね。

ゆうそ曰く、

2013年12月18日23時12分47秒_002

  千田琢哉曰く、

2013年12月18日23時12分46秒_002


何に酔いしれてしまうのか?

それは一流のレストラン、一流のホテル、一流のブランドショップに
「就職できたこと」「勤めていること」に酔いしれてしまう
ということです。

そのブランドに「自分が酔いしれてしまう」のがいけないということ。

本来、お客様を酔わせる側の人間が、ミイラになってしまっては
お話になりません。

千田琢哉曰く、
「プロは看板ではなく、技量で勝負する。」

「看板」に胡座を掻いてしまうのは愚の骨頂。

お客様は「看板」に酔うのではなく
「人のサービス」に酔うのだということを忘れてはいけない。







ベンツがなぜブランドになっているのか?
宣伝が世界中を行き渡っているのではない。
安全な車を作るというそのこだわりがブランドになっている。

               by田坂広志



看板はあくまでも、看板にすぎない。

ブランドに人が惹かれるのではなく、
ブランドになる意味に人は惹かれます。

ゆうそ曰く、

2013年12月18日23時12分47秒

  千田琢哉曰く、

2013年12月18日23時12分46秒

この寝てしまう勇気が持てない。

結果、パフォーマンスの低い仕事になる。

健康な体でないと、まともな思考ができません。

当たり前の話です。

千田琢哉曰く、
「仕事が終わってから、たっぷり睡眠を取ろうと考える人は
 結局は徹夜続きの生活から抜け出せず人生破滅だ。」

人間どうしても、「仕事が終わってから」と考えがちになります。

誰しもが陥る。

けれど、そう考える原因はもしかしたら
「仕事の都合」より「自分の都合」を優先しているのかもしれません。

本音は、自分が精神的に楽になりたいからやるのかもしれない。

本当に仕事のことを考えるのなら、たっぷり寝て
パフォーマンスの高い仕事をするほうが先決です。

すべて体資本。










人生において3分の1を占める眠る時間を
尊敬しなくちゃいけない。

                 by五木寛之






どうも「眠り」関してマイナスのイメージがつく。

「寝てばっかり」
「3年寝太郎」
「寝坊助」
「もったいない」

そんな単純では語れないのです。

睡眠を少なく、活動時間を薄くするか?

睡眠を多く、活動時間を濃くするか?
                
の話。

自分に合うほうでいいです。

ゆうそ曰く、

2013年12月18日23時12分46秒_001

  千田琢哉曰く、

2013年12月18日23時12分45秒_001

お金はそれ相応の対価です。

人々を感動させ、プロとしての仕事をすれば
それ相応のお金がもらえるというシンプルな法則。

どんな仕事であれ、その対価が低いというのは
やっている仕事の質が低いという証明です。

世の人々に感動を与え、その会社の従業員にも恩恵を与えている
会社の社長の報酬は高い。

末端の社員の報酬が社長に比べて低いのは
人に与える影響が少ないから。

厳しいですが、これが現実です。

千田琢哉曰く、
「金の亡者としてではなく、
 プロとして経済的に成功しているのは美しいことだ。」

金持ちなプロは本物。

貧乏なプロは偽物。








プロ選手で金銭にも淡泊で、
大成したものは一人もいない。

             牧野茂






人々を幸せにした分だけ、見返りがやってくる。

人々を不幸せにした分だけ、その報いを受ける。

お金も「因果応報」なんですね。


ゆうそ曰く、

2013年12月18日23時12分45秒_002

  千田琢哉曰く、

2013年12月18日23時12分44秒


準備にエネルギーを注ぐのは誰でもやる。

正確に言うと、「やってはみる」。

準備はするものの、あくまでも「準備でしかない」

つまり、
準備を本番さながらの緊迫感でできる人は少ないということです。

建前ではなく、本気の緊張感で臨めるか?

千田琢哉曰く、
「準備は本番のように
 本番は準備のように」

本番で緊張してしまうのは、メンタル的なことではなく
単純に「準備不足」だといいます。

準備に準備を重ねて、準備も本番も区別がつかなくなるまで
準備できれば、本番に緊張することはない。

やるとなったら、常に本番です。









準備というのは言い訳の材料となりえるものを、排除していく。
そのために考えることすべてをなしていく。

                  byイチロー







換言すれば、
いいわけができなくなるくらい練習に打ち込む。

回数をこなす。

見境なくこなす。

「泥臭さ」というスタートライン。

ゆうそ曰く、

2013年12月18日23時12分45秒

  千田琢哉曰く、

1 (8)

この名言はどういう意味か?

他人の才能を言い換えると「長所」。

他人の長所を見つけようとする人は、
自分の長所を見つけられるようになる。

また鏡の法則に則って、
相手も自分の長所を見つけようとしてくれる。

逆に他人の短所ばかり指摘すると、
鏡の法則に則って、相手も自分の短所を指摘してくる。

自分の短所ばかりが際だち、
「才能見つからないスパイラル」に陥る。

千田琢哉曰く、
「他人の才能に厳しいから、自分に向けられる周囲の目も必然的に
 厳しくなる。」

自分のやってくることがそのままそっくり
自分に返ってくる。

とてもわかりやすいです。










にっこり笑えば鏡も笑う。

          by作者不詳







これは「法則」というより、日常。

「時の流れ」「自然の摂理」なのだと思います。

より、身近なもの。

ゆうそ曰く、

2 (8)

  千田琢哉曰く、

1 (7)

「向いていないことをやるなんて時間の無駄だ!」

「そもそも向いていないからやらないのでは。」

「向いていることを更に伸ばすほうがお得。」

と聞こえてきそうですが、
向いていないことをやるのは果たして
どんなメリットがあるのでしょうか?

・向いていることに対して感謝できる。
・向いてることが、いかに好きかがわかる。
・向いていないことは、やってはいけないものだと再認識できる。

向いていないことをやると、何か得るというより何かに気づく。

この気づきが、大きなメリット。

千田琢哉曰く、
「マンネリを打破するためには、
 向いていないこともあえてやってみることだ。」

結果、自分の幅が広がります。

今までの固定観念が変わります。

新しい発見があります。









異なる環境での新たな発見は、
必ず自分の成長の糧になるはずだ。

               by三浦知良






「環境」を変えることも、大きな変化が見込めます。

「環境」とは自分の周りにいる人のこと。

朱に交われば赤くなる。

人って単純。

ゆうそ曰く、

2 (7)

  千田琢哉曰く、

1 (6)

「周囲の批判に屈服した瞬間」とは、
自分で自分の才能を放棄した時です。

才能の有無は、結果が出たかどうかはあまり意味を為しません。

才能の有無は、「どこまで勘違いし続けられるか」なのです。

自分の勘違いを疑いはじめたら、才能がなくなります。

千田琢哉曰く、
「周囲の批判のせいで、あなたの才能が潰されたのではない。
 周囲の批判によってあなたの才能がないことに
 気づかせてもらったのだ。」

いくら、周囲が批判の嵐でも、
自分はポカポカ陽気の勘違い野郎ならそれが正解。

誰でもないこの人生。









勘違いを特技にするんだ。
   
          by松岡修造









勘違いが最強の力です。

そう考えると、「頭がいい」とか「器用」だとかは二の次。

不器用でも、頭が悪くても、最後まで勘違いし続けたら勝者です。

ゆうそ曰く、

2 (6)

  千田琢哉曰く、

1 (5)

「カチン!」は人それぞれ。

「カチン!」はその人の過剰反応。

過剰反応ということは、人より敏感だということ。

人より敏感だから、人より先に感じることができる。

人が「8」で感じるところを、「2」で感じてしまう。

これは短所ではありません。

むしろ立派な才能です。

千田琢哉曰く、
「他人の何倍もの喜怒哀楽を感じる部分は、
 あなたの才能が眠っている分野に近い。」

「食」にうるさい人は、「食の才能」が。

「ファッション」にうるさい人は、「ファッションの才能」が。

「人の扱い」にうるさい人は、「サービスの才能」がある。

他人より関心があるから、反応する。








隠れたる才能は、名を売らぬ。

              byデジデリウス






才能は目立とうとしなくても、勝手に目立ってしまう。

意識しなくてもその人が物語ってくれる。

素直に自分に従えばいいのです。

ゆうそ曰く、

2 (5)

  千田琢哉曰く、

1 (9)

「なるほど名言」認定です。

僕も私も、勘違いしていることがあります。

「成果は足し算」だと思っている。

努力したり、必死になれば苦労は「足し算」のように
積み重なって報われると思っている。

全部足したら成果が出ると思っている。

これがそもそも違うのです。

本当は成果というのは、「かけ算」。

どんなに努力しても、どんなに才能が豊かでも、
「運」がないために、成果は0なんてザラにあります。

どこかに「0」があったら、トータルは「0」

千田琢哉曰く、
「努力や運は大切な要素には違いないが、
 才能がなければすべてが無になるという掛け算のようなものだ。」

才能が「0,1の人」と、「1の人」では、最初から10倍の差がある。

才能が「0,1の人」と、「10」の人では、最初から100倍の差がある。

掛け算であるが故、成果も倍違ってくる。

「才能」に正直になることからすべてはじまります。







どこでミスしたらやられるかを学んだのが、最大の成果だろう。

                  by宮本恒靖







「0」になるところがわかっていれば、答えは出ます。

しかし「才能」はわかりにくい部分。

自分を信じて、貫くか。

方向転換を早めにするか。

どちらにしても結果は自分次第。

ゆうそ曰く、
 
2 (9)

  千田琢哉曰く、

1 (4)

「自分の強み」ってなんでしょう?

そう聞かれて即答できなければ、
それはもしかしたら「強み」どころか「弱み」かもしれません。

千田琢哉曰く、
「自分としては意識してなかったのに、
 人に褒められたことを思い出す。」

そう、特に意識せずにやったことが、賞賛を浴びた。

大した努力をしていないのに結果が出てしまった。

手抜きでやっても、結果がついてきた。

これが「自分の強み」です。

努力が報われるのは、
自分の強みが「理に適っているか」どうかなのです。

強みだと思い込んでいるものは、理に適ってないかもしれない。

努力してると思っていることは、理に適っていないかもしれない。









私は不得手なことは一切せず、
得意なことだけをやるようにしている。

                by本田宗一郎






学校の先生から「苦手を克服しなさい」と教わった。

けれど皆が皆、平均点をとっても世の中つまらない。

人それぞれの強みが爆発したほうが、世の中おもしろくなる。

みんな違って、みんな楽しい。

ゆうそ曰く、

2 (4)

  千田琢哉曰く、

1 (3)

「俺、頑張ってるな。」

「私はなんてがんばり屋さんなの。」

そうやって、頑張っている実感のある人というのは
果たして、その頑張ってやっていることが好きなのか?

本当は嫌いだけど、好きだと思い込んでいるだけかもしれません。

本当に好きなことにのめり込んでいる人は、
「がんばっている」と思っていない。

ただ、好きだからやってしまった。
という過去形のものです。

時間もお金も疲れも忘れてのめり込んでいるものこそ、
自分の本音です。

千田琢哉曰く、
「好きなことにのめり込む姿が、
 周囲ががんばっている人として映るのだ」

「がんばっている」というのは周囲の評価。

自己評価ではありません。

他人が勝手に思うこと。

当の本人は露知らず。








がんばって、くたびれちゃいけません。
くたびれないようにがんばらなきゃ。

               by永六輔







好きなことは、くたびれない。

嫌いなことは、くたびれる。

そのまんまですね。

そのまんまなのに、人間がゴシャゴシャさせるだけの話です。

ゆうそ曰く、

2 (3)


  千田琢哉曰く、

1 (2)

物は場所を取ります。

場所を取るということは、心の場所も取るということ。

物は最終的に処分するなり、消費するなり、
どうにかしなければいけないとストレスと感じる。

物は大事な命の断片まで取ってしまいます。

その点、言葉や知恵というのは場所を取りません。

頭の中にあれば、いつでも引き出せるし、あとは
脳が勝手に処理してくれる。

千田琢哉曰く、
「一度獲得した言葉は、お金もかからない。それどころか、
 自分自身を鼓舞しながら無限の富を生み出すことができる。」

言葉はお金がかからないし、いいカンフル剤になります。

人をよくするのは言葉。

人を悪くするのも言葉。

不思議なものです。













あなたの言葉には、あなたの行動と同じ価値があります。
行動することも大切ですが、それ以上に言葉は大切です。
言葉は世界をも揺り動かす力をもっています。

                  byジョセフ・マーフィー









「世界も揺り動かすとは大げさだ」と思うかもしれません。

けれど、世界に影響力のある国の大統領の発言は
どの国の人にとっても影響があると思います。

言葉は、行動の一部だからです。


ゆうそ曰く、

2 (2)

  千田琢哉曰く、

1 (1)


1000回。

「千」に纏わる言葉。

「千年周期説」

「鶴は千年」

「千歳」

「千客万来」

「八千代」

「千と千尋の神隠し」

「千田琢哉」

「千」という数字には何か不思議な力があるのだと思います。

千回というのはそれに対して何か変化もたらす。

それは人が放った言葉でも、何かが起こる。

自分が変わるのもあるかもしれません。

けれど、その言った本人の周りも変わるのではないかと思います。










おもしろいことに、何でも千回実行すると
神様が力を貸してくれるのです。

                by斉藤一人







良くも悪くも変化がある。

「千」という数字は言わば、宿命の数字なのかもしれません。

それに関わるすべてのものに影響を与えます。

ゆうそ曰く、


2 (1)


「分身、鏡」

  千田琢哉曰く

「こっそり隠れてやっていることは

 すべて楽しいことなのだから。」
 


                     千田琢哉著『あの人と一緒にいられる時間はもうそんなに長くない』より。



「子供が遊んでばかりいる」

「子供が全然勉強しない」

そんな悩みを持つ親は多い。

むしろ、ほとんどの親が同じ悩みを持つ。

そんな親に限って、「勉強しなさい」が口癖になっている。

これが、一番の原因。

大人ですら「やりなさい」「やれ」と言われて
反発心を抱かないわけありません。

当たり前の話。

子供でも、大人でも何かをやらせるには
自ら動いてもらう他ありません。

千田琢哉曰く、
「子供に勉強させたかったら、親が勉強すればいいだけの話だ。
 親がこっそり勉強すれば子供が勉強するようになる」

「親の背を見て子は育つ」と言いますが、まさにその通り。

親がやっていることを真似るのが子供。

子供が勉強しないのは、
親がTVを観ながらゴロゴロしているからです。










子供は両親が家で話すことを、街でしゃべる。

                   byユダヤ教典










「親の顔が見てみたい!」なんて言いますが、
これは嫌味でも、皮肉でもありません。

理に適った言葉です。

子供は親の分身。

そう考えると、「教育」って自分も育てるのですね。


 




ヒトコトメイゲン

2013年12月16日05時51分43秒

「いじめは犯罪になる」

  千田琢哉曰く

「いじめはあるという前提で対話しなければ

 本音は出てこない。」


 

                   千田琢哉著『あの人と一緒にいられる時間はもうそんなに長くない』より。


まったくその通りだと思います。

いじめはどこにでもあるもの。

人が集まればいじめが発生するというくらい。

いじめ問題と向き合うには、いじめがあるものだという
前提で話を進めなければなりません。

いじめが子供の枠を越えて、社会問題である認識をする事から
はじまります。

千田琢哉曰く、
「戦争といじめは必ず起こるのだ」

必ず起こる問題に対してどう接すればいいのか?

これこそ、人類の永遠のテーマです。










いじめを無くすにはどうしたらいいか
「いじめ」という軽い感じの言葉を無くせばいいのです。
「暴行」「虐待」「殺人」「犯罪」という
重い言葉を使えばいいのです。
「いじめ」はれっきとした犯罪なのですから、
「いじめっ子」は「犯罪者」なのです。

                 by美輪明宏











呼び方を変えるだけで、100%とまではいかなくても
かなり抑えられるのではないでしょうか?

「いじめ」の重大さを自覚するはとても大事です。

僕が思うのは、戦争が無くならないのと同じく、
いじめも無くならないのではと。

必要性があるものは残り、
無いものは淘汰されるのは世の常。

つまり「戦争」も「いじめ」も必要性があるのではないかと。

「戦争を無くそう」「いじめを無くそう」と漠然と叫ぶより、
それらが残る意味を先に考えたほうがいいのかも知れません。






ヒトコトメイゲン

2013年12月16日05時51分43秒_001

「間接罪」

  千田琢哉曰く

「これから何かに挑もうとする人間に対し、

 ガミガミ言うのは、間接的な殺人行為なのだ。」

 
                                千田琢哉著『あの人と一緒にいられる時間はもうそんなに長くない』より。



これから会社へ行く夫に対して喧嘩をするのは殺人行為。

これから学校へ行く子供に対してガミガミ言うのは殺人行為。

朝から、喧嘩してイライラ状態のまま外に出れば、
交通事故や事件に巻き込まれやすいといいます。

そんな精神状態なら何が起こっても不思議ではありません。

千田琢哉曰く、
「直接的にしろ、間接的にしろ、原因をつくったのは出掛けに
 ガミガミ言った人間だ。」

ガミガミ言いたくなるのはわかりますが、
相手が事故に巻き込まれ死んでしまったら、
悔やんでも悔やみきれません。












人は喧嘩するとき、双方とも悪いと感じている。

                byゲーテ









けれど、登った木から降りられない状態。

引くに引けない状態。

本当はそこまで言いたくない。

本音はそう思っている。

そんな程度で、
相手が一生帰らない人間になってしまうのでは割に合いません。





ヒトコトメイゲン

2013年12月16日05時51分44秒

「ズバ!」

  千田琢哉曰く

「親が子を殴るのは愛ではない。

 単に憎いからだ。」

 
                     千田琢哉著『あの人と一緒にいられる時間はもうそんなに長くない』より。

「ズバリ名言」です。

「親が子を殴るのは愛ではない、憎いからだ!」

ズバリ・・・。

どんなに口実が立派でも、
殴ってしまうのは自分の感情をコントロールできなかったという
事実に他ならない。

自分の思い通りにならないから、力でねじ伏せようとする。

これでは、力に屈した者たち。

権力を振りかざしているだけ。

犯罪に近い。

千田琢哉曰く、
「子を殴ろうとしたその拳は
 自分に向けるべきだということ。」

殴るのは、教育を放棄しているのと一緒。

感情の暴走。

どっちちが子供なのか。









叱ることと、怒ることは違います。

             by美輪明宏











叱るのは、子供のため。

怒るのは、自分のため。

叱るのは、子供のことを考えている。

怒るのは、自分のことを考えている。

叱るのは、子供がかわいいから。

怒るのは、自分がかわいいから。









ヒトコトメイゲン

2013年12月16日05時51分45秒

「寂しさ凌ぎプレイ」

  千田琢哉曰く

「愛情不足もいけないが、猫可愛がりもよくない。」 

                          千田琢哉著『あの人と一緒にいられる時間はもうそんなに長くない』より。


お察しの通り、これは子供の教育についての名言です。

一見、当たり前のようですが、この中に大きな気づきがあります。

「愛情不足」がいけないのは誰でもわかります。

「猫可愛がり過ぎ」なのもいけないのは誰でもわかります。

何が言いたいのかというと、
「そこに自己満足あってはいけない」ということです。

自分の親からの愛情不足を解消するために猫可愛がる。

自分の親からの愛情過多がよくないと思い、突き放してしまう。

子供の為でなく、自分の為になっているからです。

これは教育ではなく、「寂しさ凌ぎプレイ」です。

教育とは、これら矛盾を組み合わせたもの。

大いに愛して、大いに突き放す。








唯一の真の教育者は自ら教育した人である。

              byベネット









今回は子供の教育論かと思いきや、
万物に共通することだと思います。

「過ぎたるは尚及ばざるが如し」

何事も偏った考えの基では、
うまくいかないようになっている。

バランスの法則です。








ヒトコトメイゲン

2013年12月16日05時51分45秒_001

「ハンメンター」

  千田琢哉曰く

「嫌な人も、運命の人」

                   千田琢哉著『あの人と一緒にいられる時間はもうそんなに長くない』より。

嫌な人と出合うのは、偶然でも運が悪いからでもありません。

たまたまのわりには、必要性十分。

嫌な人とは出会うべくして出会う。

自分の人生に必要な歯車の一つです。

その嫌な人によって気づくこととは?

・嫌は人は、どこか別の場所で自分が誰かにとっている姿そのものだと
気づく。

・嫌な人と出遭うのは、自分に同じ要素があるから、
引き寄せられてしまう。

・嫌な人は、嫌がらせを受け続けてきた被害者でもある。

・嫌な人のおかげで転職や独立を決意できた。

・嫌な人にも愛してくれる存在があるとわかった。

このように、「嫌な人」というのは、
自分の嫌な部分を顕在化してくれる存在。

とても貴重な「ハンメンター」(反面教師+メンター)です。












この世に存在する一切のものは、すべて不要なものはない。

                  by松下幸之助












意味があって、あなたの目の前に顕れる。

自分に気づいていないところを、気づかせるために顕れる。

出会いの必然的産物。

ヒトコトメイゲン

2013年12月16日05時51分45秒_002

「嫌な部分」

  千田琢哉曰く

「誰からも愛されない人は存在しないということに

気づかされる。」
 
                              千田琢哉著『あの人と一緒にいられる時間はもうそんなに長くない』より。

気づかされました。

どんなに嫌な人でも、どこか別の場所では
誰かに愛されている。

嫌な人の恋人は、嫌な人を愛している。

嫌な人の子供は、嫌な人を愛している。

嫌な人の親は、嫌な人を愛している。

確かに、
別の場所では愛される人となっています。

千田琢哉曰く、
「嫌な人というのは、あなたが嫌な部分を見ているからだ。
 あなたも誰かにとっては、嫌な人だ。」

そう、その人間そのものが嫌なのではなく、
嫌な部分だけを見ているから、嫌になっているのです。

そして、自分もどこか別の場所では嫌な人になっている。

そこに気づくと、人生の見方が変わってきます。

嫌な人にもいい部分がある、いい人にも嫌な部分がある。

どこを見ているか?














視点を変えれば、不可能が可能になる。

            byハンニバル














不可能が可能に見える。

逆に言えば、可能が不可能に見える。

すべては自分の視点次第。

この角度だとよく見えて、この角度だとよく見えない。

考え方の角度を少し変えるだけで、人生は変わる。



ヒトコトメイゲン

2013年12月16日05時51分46秒

「ケロッと」

  千田琢哉曰く

『「褒め言葉として受け取っておきます。」と言って

 元気にスキップしながらその場を離れる。』
 

                           千田琢哉著『あの人と一緒にいられる時間はもうそんなに長くない』より。

嫌いな奴から、嫌味を言われた。

同じく嫌味で仕返ししてやった。

これではありきたりな模範解答。

結果は自他共に憔悴しきって「嫌味スパイラル」にハマるだけ。

それよりも最高の復習の仕方があります。

それは、「最高の笑顔で、最高の礼儀正しさで対応する」のです。

「嫌な相手にそんなことできない。」と思いますが、
やられた相手は意外な反応に「豆喰らった状態」になります。

これでいいのだと千田琢哉曰く、
「嫌な人は自ら気づけない場合、いずれ別の誰かにどこかで
 怒鳴られている」

そう、嫌な奴はこっちがわざわざ言わなくても、
どこかの誰かに言われる羽目になる。

勝手に自滅するから放っておいて良し。

なのです。













愉快に暮らしているのが最大の復習である。

                 by西洋のことわざ












「攻撃は最大の防御」なのだから、
やられても動じないという攻撃が結果的に最大の防御になります。

何を言われてもケロっと。

むしろ、不気味なまでの笑顔で対応。

最後の締めは「スキップ!」




ヒトコトメイゲン

2013年12月16日05時51分46秒_001

「自尊」

  千田琢哉曰く

「あなたがこれからの時代を

 生き抜いていくための必須能力は語学力ではない。

 挨拶できる力だ。」
 

                            千田琢哉著『あの人と一緒にいられる時間はもうそんなに長くない』より。

これぞ「断言名言」。

これからの時代を生き残るための能力それは・・・

「挨拶!」

断言しました。

それはなぜかと千田琢哉曰く、
「嫌な人にも先に挨拶できれば、
 それだけで上位1%に確実に入れる」

そう、現代はコミュニケーション不足とも言われる時代。

「挨拶がない」と言われる現代。

裏を返せば、「挨拶ができる」だけで目立ちます。

目立てば、その分チャンスが巡ってくるのは、
言うまでもありません。

更に、嫌だと思う人にまで挨拶できたら、
周りから一目置かれるに違いありません。

たった一言の挨拶が、大きなリターンを生みます。











現実の自分がもしかしたら、なれたかもしれない自分に
悲しげにあいさつをする。

                 byヘーベル












声は一旦、自分を通して発します。

「おはようございます」
「こんにちは」
「こんばんは」
「おやすみなさい」

あいさつは、自分との対話でもあるのです。

相手に敬意を払うと同時に、自分にも敬意を払っているのです。









ヒトコトメイゲン

2013年12月16日05時51分46秒_002

「ki du ki」

  千田琢哉曰く

「嫌な人は100%あなたが引き寄せている。」 
 
                         千田琢哉著『あの人と一緒にいられる時間はもうそんなに長くない』より。

「100%」というところが今日のポイントです。

運、不運関係なしに自分が引き寄せているのです。

「トラブルに巻き込まれた」

「詐欺に遭った」

「へんな因縁をつけられた」

これらは、すべて自分に原因があるのです。

自分がイライラしていたから、イライラする相手とトラブルになった。

自分に卑しい気持ちがあったから、詐欺に遭った。

自分が相手を優しい気持ちで接しなかったから、因縁をつけられた。

というように。

すべては、自分原因。

千田琢哉曰く、
「自分が嫌な人になっていることに気づくと、人生は一瞬で変わる」

自分が原因だと気づけるか?

自分が原因だと認められるか?












リスクは、あなたが何を行っているか知らないことだ。
 
               byウォーレン・バフェット










自分に気づけないことほど、危険なものはない。

気づいているのにやらないのと、気づいていないのとでは
後者のほうが罪が重いかもしれません。

気づきというのは、人間にとってなければならないチカラです。



ヒトコトメイゲン

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