「もう、やーめた」と思って振り返ったら。人脈とは、我慢して繋なぐものではなく、「放っておいたら、まだいた。」なのです。人脈は消去法。好き嫌いで捨てて、残った人があなたに最適な人脈なのです。人間は基本的に執着の生き物だから自然と執着に走る。執着すると、幸せになれない。
10年間深掘りするためには、な分野と繋がっていかなければならない。10年とは、ひとつのボーダーラインです。10年経っても変わらないもの。10年経つと変わるもの。それは同じものかもしれない。10年のうちに、微量ながら絶えず変わるものが、変わらないもの。
人脈が豊富な人は、今会話している人に全エネルギーをさせていた。「人脈が豊富=数」×「人脈が豊富=深さ」○人脈の数が多いほど、人脈は豊富と思われがち。けれど、人脈は「深さ」なのだと。エネルギーは有限なので、広げれば広げるだけ、分散される。一人前に換算したら、微々たるものになる。
今目の前にいる人が、あなたの人脈なのだ。人脈というと、自らが作って、自らが育てるというマネジメントのように感じます。けれど、逆でした。自然に離れていった相手は、もともと離れてく関係にあった。いつもケンカばかりの相手なのに、今だに繋がっているのは、もともと繋がる関係にある。人脈とは、「自然にできた川の流れ」なのです。
吐き出すと素直になり、素直になると吸収。インプットしなければ、アウトプットできない。けれど、インプットの前にアウトプットしなければ、インプットできないのです。インプットばかりだと、頭でっかちで素直になれない。素直になれないと、新しい考えが吸収できない。人間の体は古い細胞が死ぬと、新しい細胞が生まれる。
だからあなたは間違えることを躊躇する必要はのだ。大人は、超抽象的強迫観念の洗脳により、「間違えたら終わり・・・」と思っている。しかし間違えた人は、優しい。自分も同じ立場だったから間違えに対して寛大です。間違えていない人は、厳しい。自分が同じ立場になったことがないから、間違えに対して狭量です。
30点でスタートできることが、社会人のエリート条件なのだ。学生時代は、本番も「練習」でした。社会人になると、これと逆になる。練習していると、怒られる。30点でもいいから、スタートしなければならない。誰も100点満点取れるまで、待ってはくれないのが社会人。
をかいた瞬間、最もインプットしている。恥をかいた瞬間の「焦り、口惜しさ」という想いが、記憶に刻まれる。ちょっとしたトラウマです。「少虎」が体の反射神経となる。次回、同じような場面で反射的に思い出される。それは中々忘れない。
あなたの周囲にいる長期的な成功者を思い浮かべてみよう。怒った顔などはずだ。成功は、怒りを克服した順になっていくのです。しかし「怒りを克服」=「怒りが無くなる」ではありません。「怒りを克服する」とは、「怒りと共存する」こと。怒りは、成功するためには必要不可欠なもの。怒りは静めておきながら、火は絶えず灯しておく。
脊髄反射で「増税=悪」になるのは、考えないから。かと言って「増税=善」ではありません。賛成でも反対でもいいから、その意味を自分の頭で考えた方がいいのです。考えない人間は、他人の人生を歩んでいるということ。他人の奴隷で生きているということ。自分が人生の王様なんだ。
交通事故の過失割合が100対0になることが少ないのと同様に、この世の中の加害者と被害者の関係は、100対0になることも、。結果には、原因がある。被害者になったのは、被害者になる原因がある。加害者になったのは、加害者になる原因がある。今回は、結果的に「被害者」になったけれど、次回は、加害者になる可能性がある。すべての出来事に、100%は100%ない。
言葉の通り魔は、野良犬とだ。野良犬のように、いずれ保健所に保護されるだろうと、上から目線で見守ってやればいいのだと。愛に飢えているから、通りすがりの人に噛みつく。野良犬も生きるのに、必死なのです。人類の歴史を振り返ると、「寒さ」と「飢え」との戦いでした。飽食で住むところにも困らなくなった今でも、争いがなくならないのは、「心の飢え」や「心の寒さ」によるものかもしれない。
の挨拶とは、相手の名前を呼ぶことなのだ。「挨拶したのに返事がない!?」それをされない為には、今日の名言。どんな状況でも、名前で呼ばれた以上、返事をせざるを得ない。抽象的から、具体的になると、責任が生まれる。責任が無いと、人はいい加減になる。
人を愛するということは、人の欠点を認めてということなのだ。気がつくのは、相手の欠点。「何で、こんな人ばかりなの。」「どうしてわかってくれない!」けれど、その気がついた相手の欠点は、実は自分の欠点を「顕在化」したものだった。相手が「あなたの欠点はこうですよ。」と教えてくれている。
というのは、相手の長所に惚れることだ。というのは、相手の短所を許せることだ。恋の延長線上に愛があるけれど、恋と愛は、一体化しない。質が違うからです。恋は、引き合うもので、愛は、離れまいとするもの。同じように見えて、全く違う。愛は継続させるものだから。
慰み者として関係だからだ。相手を見下すと、相手に見下される。見下合う関係が長続きすることはない。それは愛ではなく、「ギブアンドテイク」の関係。否、「テイクアンドテイク」の関係。長続きしないのは、当たり前です。
幸せはいつも方向に存在することが多い。いつの時代も正解が幸せにはならない。そうなると単純に「正解の逆」が、幸せとなる。人は機械ではなく、生身の人間。 正解が気に入らないことは自然なもの。正しさより、大切さ。
ヒモ男とヒモ男と交際している女性は、であるということだ。傍目で見ると、ヒモ男とヒモ男と交際している女性は釣り合いが取れていないように見えます。けれど、ヒモ男もヒモ男と交際している女性も「ダメダメさ」で言ったら、最高のカップルなのです。ヒモ男はヒモを演じることで相手の女性の心を満たしていた。相手の女性は、ヒモを扶養することでヒモ男の心を満たしていた。うまく釣り合いが取れていたのです。
嘘をつくのは、良くない。しかし、嘘が愛をこともある。何の為のウソなのか、それを考えるのが粋ではないか。「嫌われたくないから、嘘をつく。」それは悪意ではなく、善意と考えられる。善と悪は常に一体のもの。正しさより大切さを追求したい。
人が一番望むこととは、なんだろうか?それは、大切な人からことだ。人は何がしたくて、生きているのか?それは「大切な人から認められたいから」。それは、子供が親に認められたくて、勉強を頑張るようなもの。それは、社員が社長に認められたくて、仕事に打ち込むようなもの。みんな、承認されたくて頑張っている。
我慢しばらく距離を置く。「距離なんて置いたら、終わってしまうよ・・・」それが正解。それで終わるくらいなら、それで終わってしまうほどの仲だったということ。同じ運命を共にしていても、相手と自分に流れている時間は違う。そのまんまでいい。
実態を何も把握していない上司から、「お前のそういうところが、ダメなんだ!」と言われて、カチン!とくる。誰もが経験する「アレ」です。しかしながら、的を外すような相手は、いつも誰かの的を外している。24時間365日、周囲をカチカチ言わせている。いちいち腹を立てている時間がもったいない。人は只でさえ、分かり合うのが難しいのだから。
とくるのは、的を射られた時と、的を大きく外された時。過ぎたるは、及ばざるが如し。近すぎても、遠すぎてもいけない。着かず離れず、くらいがいいようです。でも、欠点を指摘されて「かちん!」は子供。欠点を指摘されて「ありがとう!」が大人。
自分もしているのだから、他人にも不義理する資格はあるはずだ。「ご恩」には「目に見える恩」と「目に見えない恩」があります。今こうして生活できるのは、直接的、間接的、幾多数多の人々によって支えられている。すべての人々に、そもそもが恩返しできないのです。すでに自分も不義理していた。受けた恩は100%返せないのは、自然なのです。
借金漬けの人間は、ちゃんと地獄にあげる。借金漬けの人間を本当に助けようと思ったら「助けない」ことです。助けないことで、地獄へ落ちそこから自力で這い上がってくる。そこで初めて更生できる。一見冷たく見えますが、最高に愛を感じる行為だと思います。その人が一人でも生きていけるようにしてあげることが最高の愛。
なぜなら原因は、周囲の環境にあるのではなく、あなたのにあるからだ。「自分は悪くない。」誰もがそう思っている。誰かのせいにすれば、楽だから。けれど、どこか「楽」しくない。だとすると、やはり、原因は・・・そこにある。
ごめんさない、ありがとう・・・あとなら、伝えたい言葉はたくさんあるはず。親が現在50歳だとし、あと30年生きるとする。盆暮れ、年2回帰省するとし、30年だと60回帰省する。つまり、あと60回しか親と会えない。たったの60回。親が現在60歳だとすると、あと40回しか会えない。あなたはこの40回で、何を伝えたいですか?
親が頑固でわがままなのは、すべてのだ。それは、もはや自然の摂理。自分が子供の頃に、わがままを言った分、親のわがままも受け止める。それも、もはや自然の摂理。ムカつく感情が出るのは、まだまだ甘えている証拠。種を植え付けてくれたことだけで、感謝。