情報ではないと、考えているからだ。「情報」の「情」という字には、「心」が入っています。つまり情報とは、その発信者の「心」が含まれているのです。その情報の正否に関わらず、その情報の信憑性にも関わらず、発信者の意図がある。その意図に「心」が無ければ、それは情報とは言えないと今日の名言。心のない意志は、人を騙したり、傷つけたりする。
済まないこともある。「ありがとう」をいうことは、大事です。けれど、言うことばかりに力を入れすぎて目的を忘れています。「ありがとう」を言ったかは、「プラス」「マイナス」ではなく、「±0」なのです。つまり、スタート地点にいるだけのこと。「ありがとう」が言えて、やっと普通なのです。
なぜ、検索しないのか?それは、「陳腐でも自分なりの答え出す」ことが重要だからです。検索した手軽な情報は価値がない。となれば、まず自分の頭で考え、それから検索結果と照らし合わせる。そこでどう思うかが、貴重な答え、つまり「知恵」です。
悔しいけど、つい落ちてしまうものだ。頭で考えてしまうのは、好きじゃない人。好きな人は、体が勝手に反応している。つい、頑張ってしまうもの。むしろ、頑張っている認識がない。無理するものではなく、自然と流れて行くもの。理性的は恋は、偽り。
社会人は、「先にできた人の答え」をカンニングし放題なのだ。儲かっている「ラーメン屋」にしたければ、儲かっているラーメン屋に食べに行けばいい。成功者になりたければ、成功本を読めばいい。世の中には、正解が惜しみなく溢れている。カンニングし放題。千田琢哉曰く、「だから納得できないことがあっても そこで立ち止まらない。」
「努力が成果になっている」ことに気づけない。「努力で満足している」ことに気づけない。「努力に逃げている」ことに気づけない。あくまで、成果を求める。他人は成果しか見れない。それが、正当な自分の評価です。千田琢哉曰く、「ただそれを他人に評価してもらいたいと 詰め寄るのは、いささか問題だ。」
過ごす。人はどん底に落ちると、群れる傾向にあります。群れることで、気を紛らわそうとする。けれど、群れても一時的にすっきりするだけで状況は変わらない。数時間、現実逃避をしただけ。お金と時間が逃げていき、残るのは空虚感のみです。
周りは我慢に慣れることを薦める。しかし、我慢の先には更なる我慢が待っている。自分の今いる場所にしか、未来はない。今が嫌なら、未来も嫌。好きなことだけするのと、嫌なことはしないというのは、どこか似ていて、どこか似ていない。
人は一生繰り返す。その5年間の習慣が、複利のように積み重ねっては人生を創っていく。千田琢哉曰く、「24時間365日の何気ない習慣こそが 決定打なのだ。」「何気ない」というのが、大きい。気にも留めないことほど、人の行動の9割を担っている。気にも留めない小さなことほど、分析する意味がある。
他のお客様のご迷惑になりますのでご協力お願いできますでしょうか?マナーの悪いお客さんを、手厚く葬りながら、マナーのいいお客さんを、守ってあげる。そんな、一石二鳥ができるのが、サービス。マナーを守っている人の小粋を守ってあげるのが、サービス。何事も無かったかのように、マナーを順守させるのが、サービス。接客業のプロの使命だと千田さんは言います。
人生を開くボタンでもある。エレベーターに乗るとき人の足音が近づいているのに「閉」ボタンを連打する人がいる。たったそれだけのこと。たったそれだけのことに、人は気がつく。たったそれだけのことに、人は評価する。たったそれだけのことに、人は結論を出す。
モザイクをかけられても、大丈夫。「モザイク=匿名」明かされたくない事実があるから、モザイクが必要になる。潔白なら濁す必要はない。逆に言えば、匿名の時ほど、本質が露呈されてしまう。千田琢哉曰く、「自分の仕事に誇りを持てない人は モザイクをかけられた途端醜くなる。」
ベクトルは逆なのだ。うまくいく人というのは、エネルギーとベクトルが調和している。うまくいかない人は、エネルギーとベクトルが赴くままになっている。エネルギーに偏っても、ベクトルに偏ってもうまくいかない。双方がバランスが取れて、調和したとき、自然に流れていていく。千田琢哉曰く、「人間の大原則として 沢山教えてもらった相手よりも 沢山聞いてくれた相手のことを好きになる。」
これまでの、逆を試してみると人生は一変する。成功したいと思うのは、今の自分に満足できないから。ということは、今までの選択が間違っていたということ。ということは、今までの自分のセンスが悪かったということ。だったら、その逆をやれば今より良くなるはず。幸せは逆にある。
質問すれば、完璧な模範解答が返ってくると、思い込んでいる。当たり前は、実は当たり前ではない。千田琢哉曰く、「幸運にも教えていただけたら、 『ありがとうございました』と深々と 感謝するのを忘れないことだ。」当たり前でないから、感謝しなければならない。些細なことほど、感謝しなければならない。脚光を浴びないことほど、感謝しなければならない。
人脈は途切れていく。頼みごと上手な人は、頼まれた相手にとっては「断り下手役」をやらされてしまう。いつも断り下手役になってしまう相手に対して、好きでいられるわけがない。千田琢哉曰く、「頼み上手はいずれ、人脈が途切れる。」何事も器用だと、得するように思えますが、実は損していることの方が多い。器用さは自分にとってなのか、相手にとってなのかで違う。時には不器用な方が、うまくいく。
短所は周囲から補ってもらうのが、正しい生き方だ。見事に啓発されました。短所は自分自身で克服するのが、普通だと思っていました。けれど、「短所は人任せでいい」のだと。自分はひたすら、長所を伸ばしてその長所で周囲に貢献する。これはまさに、人間業。
一番美味しいところから食べる。この言葉は「食」に関することでありながら、人生全般に言えることです。食事の時に美味しいものから頂く人と、美味しいものは最後までとっておく人がいます。先に頂く人は、人生においても「本題から入るタイプ」最後までとっておく人は、人生において「本題は後回しにするタイプ」千田琢哉曰く、「一番美味しいところから食べ始めると、 おいしいお代わりがもらえる。」
「急ぎの仕事製造機」遅刻すると、仕事が滞る。仕事の流れが滞るので、自然と周囲に悪影響が波及する。それだけでなく、急ぎの仕事を周囲にまき散らすことになる。遅刻とは、自分だけ被害を被るわけではないのです。正に、「急ぎ仕事製造機」です。
人から嫌われたら、成功できない。人から好かれるには、たった「一秒」で決まるという。今は好かれていても、一秒後には嫌われているかもしれない。今は嫌われていても、一秒後には好かれているかもしれない。その一秒、一秒を生き抜いた人こそができる人なのだ。
誰だって壁にぶつかる。その壁から、逃げ出したこともある。その壁にぶつかって、そのまま倒れていたこともある。その壁を上手く避けたもある。よくよく考えてみると、その壁の先にはまた同じような壁があったということ。よくよく考えてみると、その壁は自分が創り出していたことに気づく。
他人を傷つけることもあるし、嘘をついて、場が和むことも多い。ウソをつくことで、上手く流れることもあれば、正論が人を傷つけることもある。「正しさ」とは「規範」であり、絶対ではないということ。千田琢哉曰く、「なぜなら現実では、その正しいことが 通用しないことの方が多いのだ。」人間は非合理的な生き物だから正しさは通用しない。正しさは状況によって、コロコロ変わる。
夢は時間と共に劣化していくのではなく、夢は時間と共に進化していくのです。千田琢哉曰く、「夢を叶えるプロセスは、試行錯誤しながら 自分の土俵を見つける冒険だ。」夢破れても、あきらめない限り夢は続く。少しピントがズレたくらいで、的が無くなることはない。自分の土俵は常にそこにある。
「美味しいものを、 食べさせ続けてくれる力」のことだ。「美味しいものを食べさせ続けてくれる力」と。本当の美味しいものというのは、安くて簡単に食べられるフードではなく、原価と手間がかけられたものだということ。つまり、単純にお金がいります。そして、食に関する知識も必要。そして、「食べさせ続ける」のだから、永続的にお金を稼げなければならない。一発屋ではなく、継続的な成功。
いかに楽しく学ぶかという、「楽学」で行こう。苦労するのが美徳とされる、この世。「苦節何年・・・」「石の上にも・・・」けれど、苦労の先に待っているものは、「苦労」です。人間は苦労してはいけないのです。苦労とは逆の「楽しい」をしなければいけない。悲壮感漂わせながら、成功した人はいない。楽しそうにやっていたら、成功の方からやってくる。
今日覚えたことを、忘れてしまうからだ。やり方自体を考える必要があります。勉強の勉強方を考える。千田琢哉曰く、「勉強法の勉強はとても楽しいし、 他の勉強にも応用が利くから 人生の宝になる。」目的地に着いてから、楽しむより目的地に行くまでの過程を楽しんでしまう。過程を楽しめないから、すぐ挫折してしまう。
時間が経てば、コロコロ変わるのだ。仲間だと思っていたのに、裏切られた。犬猿の仲だったのに、仲良くなってしまった。体に細胞周期があるように、心にも周期があるようです。前までは好きだったのに、今は嫌い。ずっと嫌いだったのに、最近はそうでもない。こんなことは珍しくもなんともない。すべてのものは、新陳代謝する。コロコロ変わるのが、ココロ。
自分を許そう。嫌いな人はどんなに努力しても、好きになれない。好きになろうとすればするほど、嫌いになっていく始末。自分の遺伝子が総力をかけて嫌っているのだから好きになれるわけがない。「嫌いな人を好きになる努力」というのは、「嫌いな人を嫌いになる自分を許さない」ということ。嫌いな人は、嫌いなままでいい。
嫌いになろうとがんばっても、嫌いになれない人のことだ。その人の「好」が「嫌」を圧倒的に上回っているということ。果汁100%の人間がいないように、その人の中には、「好、嫌」が共存している。けれど、「好きな人」というのは、「好」が「嫌」を上回っているのから惹かれるのです。千田琢哉曰く、「嫌いな人に使っているエネルギーを 好きな人のために使おう。」嫌いな人を好きになる労力より、好きな人をより、好きになることに捧げると道は開ける。