お互いを認め合い、お互いを助け合う。「人のせいにする」ということは、受け身の人生。自分が人生の主人公なら、人のせいにしない。自分が脚本したから。人のせいにしてしまう人は、誰かの人生の脇役でしかない。今、目の前の現実は、まぎれもなく自分の人生。
時代が全力で応援してくれているのだ。インターネットの普及に伴って、手元の端末でいくらでも情報が得られるようになった。自分の欲しい情報が、一瞬にして得られる時代。才能磨きには、好都合な時代。素人が才能を、世に広めることができる時代。差が無くなってきた。
優先する覚悟でメモするべきだ。ひらめきとは、頭の中の化学反応。ふとした時に、頭の中の細胞が繋がる。繋がる瞬間は一瞬なので、すぐに記録しておかなければ消えてしまう。降臨と言っても過言ではない。自分の頭の中が人生なのだから。
本音を言うべきではない。愛のある本音は、愛でしかない。愛のない本音は、ただの暴力に過ぎない。本音トークしたいなら、まず相手を選ぶところから始まる。愛のない相手に、本音を言ったところでなんの生産性もない。ただの時間キラー。
ということは、例外なく死を意味することだ。僕らは、常に活動している。寝ていても、ぼーっとしていても常に新陳代謝を繰り返している。何もしないということはできない。何もしないとしたら、それは死んでいる。息を止めたら死んでしまう。
いくら努力しても無駄なのだ。誰もが一流のプロになれるわけではない。それは、周りを見ればすぐ理解できる。一流になるには、努力ではなく「才能」だと言い切りました。ここでショックを受けるのではなく、ここからスタートする。自分が一流になれる場所を探す。
笑える後悔と、笑えない後悔がある。笑える後悔とは、好きなことをして、失敗した時の後悔。笑えない後悔とは、やりたいのに、やらなかった時の後悔。傍から見れば、同じ後悔。本人からすれば、死ぬまで引きずる後悔。もう、わかった・・・迷ったら、やってしまえ!
動きながら、語ることだ。こういう言葉が、人を突き動かす。普通に生きていると、こういう言葉には出逢えない。周りには、ネガティブな言葉が溢れているから。出逢えないということは、その人に、この言葉が存在しないということ。少しの千田本と少しの時間があれば、前に進める。
であり、あなたの好きなことなのだ。親や学校の先生から言われた。「そんなことやってないで、もっと勉強しなさい!」「また、そんなことやってる!」その「そんなこと」が、本当に自分がやりたいこと。自分の「やりたいレベル」が、「やってみたい」ではなく、「やりたい!」でもなく「・・・」なら本物。「・・・」はすでにやっているから。
自由から遠ざかっている証拠。群れとは、安心はできるが自由がない。安心の代わりに、自由を提供する。群れにいて、批判される時というのは、自由を求めている時。批判されないということは、自由ではない時。自由を求めるのか?安心を求めるのか?安心と言っても、そのサークルの中の常識。
個性が爆発するのだ。制約があると、個性が無くなるような気がする。学校の制服を、学生服ではなく、普段着にした方が、個性が出そうな気がする。けれど、本当の個性とは、同じ制約の中で生まれる。その他大勢並の個性では、目立たないから。制約があればあるほど個性は発揮される。
と思っていると、その通りになる。「・・・」のようには、なりたくない。とイメージしました。人の脳は、イメージしたことを現実化させる性質がある。脳には、善悪の判断ができないため、悪いことでもイメージしたら、素直に現実化させる。「あの人のようには、絶対なりたくない!」と思っていても、すでにそうなっている。朱に交われば、赤くなるのは当然のこと。
愛し合っている証拠なのだ。一見、相手のことを何でも知っていて、秘密がないほうが、愛し合っているように思える。しかし、相手が好きだから言いたくないこともある。それを知りたがるのは、愛を盾にした、自己満足に過ぎない。白黒はっきりしても、誰も幸せにはならない。グレーゾーンが、関係を保っていることもある。
彼自身の言葉だった。人の心を勘ぐっていたのではなく、自分の心を勘ぐっていたのである。人は目的の為なら、手段を選ばない。否、選んでしまう生き物。相手の心を勘ぐるために、善人ぶったりする。どこまで行っても、不安から逃れられない。不安は自分の中にあるものだから。
「安者」の人脈が構築されていく。安ければ何でもいい。と言う人は多い。けれど安さに価値を求めると、本来の目的を見失う。買うはずでは無かったものを買ってしまう。行き着くところは「安物買いの銭・・・」で終わる。自分自身を買い叩いていることとなる。
優越感を抱いてなければ、友達にはなれない。優越感があるから、一緒にいられるのが友達。その優越感によって、バランスが取れている。優越感を持っていないと、一緒いるのが苦痛になってくる。すべて打ち負かされた相手と誰が一緒にいたいか。対等の中に、すこしの優越感があることで、自分のアイデンティティーが保たれる。
なのに幸せ」で結ぶ。愚痴はゴミみたいなもの。捨てなければ、どんどん溜まっていく。ただ、ゴミ捨て同様、出し方にルールがある。愚痴を言ったら、「なのに幸せ」とつけることで前の意味を打ち消すことができる。愚痴を言って、スッキリして、それを帳消しできる魔法の言葉。
打ち明けたくなるもの。「ここから、本音トーク」ほど、本音は出てこない。情報には、誰かの「心」が入っている。誰かの意図したことが、含まれている。誰も自分が不利になることは、言わない。つまり、「本音トークね。」と言った時点で本音では無くなっている。本音とは、溶けだす感じ。
自分でも想像しないような、「自分らしくない」と思うことをやってみることで、気づかされることも多いのだ。自分の知らない自分を知ることは、他人の知らない他人を知ること以上に面白い。「俺ってこんな一面があったのか!?」が人生を面白くする。だか、人は恥をかきたくないから新しい自分と直面するのはこわい。悩みなんて、精精その程度だ。死ぬほどの悩みなんて、早々ない。
生きているふりして、死んでいる。信念とは、心がここにあるということ。「人生こんなもん。」的だと心は誰かの奴隷になっている。息してはいるけど、活きていない。そんな、魂が抜けた亡霊でも生きられるこの世はすごい。石器時代なら、即、餌食だ。
生の中には、常に死が含まれているのだ。生と死を別にして考えている人は多い。だから、軋轢を生む。だから、怖くて現実逃避してしまう。けれど、生と死は2つで1つのものと考える。終わりがなければ、始まりはないから。
究極のコミュニケーションなのだ。コミュニケーションとは、何も人を介する必要がない。悩みの答えは、自分自身が一番よくわかっている。ただ、自分が向きたくない方向に正解があるだけ。自分で、自問して自答する。これほど、深くて、楽しい会話はない。
すでに正解が塗りつぶしてある迷路をわざわざなぞるようなものだ。人は答えを知りたがる。けれど、正解の知っている問題ほどつまらないものはない。ゲームの裏技で、全クリしてもつまらない。クリアしにくいから、面白い。問題が難しいから、面白い。
終わりなき成長である。ナンバー1がゴールに見えるこの世界。しかし、ナンバー1は、始まりに過ぎないこの世界。ナンバー1は、流れの一つに過ぎないから。だからこそ、目指す必要がある。終わりがないから、面白い。
わからない」と悩んでいる人は多い。自分は本当は何がしたいのかわからないことがある。自分の使命は、天命は、天職はどこにあるのかわからない。結局、シンプルな「やりたいこと」に行き着く。その「やりたいこと」ができるようになるには、今何をしたらいいのか?足元に答えはある。
相手を威嚇するような、姑息な手段は使わない。丁度、ヘナチョコヤンキーがケツ持ちされて粋がっている、あの感じ。あくまでも、その人の威光で独りよがりになっているだけ。わかる人には、わかってしまう。わかった瞬間、ヘナチョコ決定。皆、生きるのに必死だ。