他人をハッピーにすることはできない。無い人が、無い人に与えることがボランティアだと勘違いしている人は多い。けれど、自分から「溢れたもの」を与えるのが本物のボランティア。お金も時間も無い人に、本物のボランティアはできない。それは、自己満足に過ぎない。まずは自分がハッピーでなければ、人をハッピーにできない。
見えてくる。圧縮するとうまみだけが残る。けれど、このうまみは自分が思っていたのと違う味になることがある。人によって好みは変わるから。そもそも使う素材が間違っていたことに気づく。圧縮しなけれは、一生わからなかった事実。
一時的に労働時間を圧縮して追い込むのもいいだろう。人生がマンネリ化して伸び悩んできたら、しばらくは精神的に圧縮される環境に身を置くものいいだろう。「デミグラスソース」はなぜおいしいか?牛すじ肉のうまみを凝縮させて作るから。うまみだけを圧縮したソースが旨くないわけない。人生や仕事も圧縮する事ができる。人生や仕事のうまみだけを圧縮した人生は最高の味わいだろうな・・・
「楽しい」と「評価される」を生きている間に一体化させなさいということなのだ。仕事は楽しくなければ、自分で自分を拷問にかけているようなもの。「仕事が楽しい」は人生の大前提。そして、ここから。「評価される」が加わることによってさらに、仕事が楽しくなる。評価されることによって好きな仕事にさらに没頭できる。「一体化」はお互いがバランスと取り合って共生していく。
世間から評価されなければ、ダメ人間は、ダメ人間のままだ。「楽しいことをやっている」これはスタートライン。楽しいことをやっていても「評価されない=自己満足」「楽しい」と「評価される」が合わさって初めて成功と言える。ダメ人間はダメ人間なんじゃない。下手人間。
苦労は苦労を感じることで苦労だとわかる。苦労と感じることは自分の才能ではない。苦労と感じないことに自分の才能がある。だから、自分の才能には気づきにくい。何も苦労していないのに周りから評価されたことが自分の才能。
低所得者は、苦労に逃げていた。お金の持ちの苦労は、楽をするための苦労。貧乏人の苦労は、「苦労してます。」というアピール。苦労から逃げた者が、幸せになれる。苦労に逃げた者は不幸になる。今やっていることが人生の延長線上にある。
あなたの許す力に比例していくのだ。人を許すことができないのは自分が許せないから。真面目はいいが、幸せになれないなら真面目はよくない。真面目だと許せないから。自分を許せれば自然と他人も許せる。失敗はするものだと考える。
あなたが逃げさえしなければ次の扉が開くのだから。扉が閉まっても、逃げなければ次の扉が開く。大半の人は、扉が閉ったら人生の終わりだと勘違いする。行き詰りは、終わりだと思ってしまう。けれど、行き詰りは展開への一歩。それさえ知っていれば何も恐くない。
才能だ。楽はよくないと言うが、人の行動は楽をするのが目的。仕事も苦労して、倍の成果を上げるのと楽をして、倍の成果を上げるのでは雲泥の違い。楽=時間の短縮になるから。ナマケモノ思考をバネに自由と幸せを獲得する。楽から「楽しい」がたくさん生まれる。
独立は、独りで立った状態。立っただけで、これから歩いていかなければならない。レールがないから、どこへでも行ける。サラリーマンは、座っていても寝ていても、運んでもらえる。他人のレールの上だから行き先は決められない。
狭間で、どのように生きるのが幸せなのかを考える時代が到来したのだ。社会のルールは刻々と変化する。本能は変わらない。価値観は変えられるが、根本は変えられない。古い価値観に縛られていては、幸せにはなれない。新しい価値観と本能の共存が幸せへの道。
燃料だ。千田琢哉曰く、「負けん気は静かに燃やし続けろ!」爆発させると、周囲に火の粉が散ってしまう。火は消さずに、静かに燃やし続けるのだと。インジェクション方式で、必要な時に必要なだけ燃やすのがいい。限りある資源。
「向かうところ味方あり」の交渉術を手に入れろ!「向かうところ敵無し」=「向かった先に敵が有り」ということ。人をバッタバッタと切り倒してもそこには憎しみしか残らない。憎しみは新たなる憎しみを生む。だったら、向かった先に味方がいた方がいい。向かうところ味方ありにするには、自分が「少し」負けるといい。
実は強烈な武器になることもある。自分のコンプレックスは弱みではなく、強みの燃料である。人間の成長はこのコンプレックスの解消である。コンプレックスを解消しようと、人は頑張る。足りないから、満たそうとする。押さえつけられたバネが、飛び上がるイメージ。
するから醜くなる。「引き算のお洒落」ができるのがいい女だ。「足し算のお洒落」とは過剰な厚化粧や香水のつけ過ぎ。「引き算のお洒落」とはどれだけ、自然にお洒落できるかということ。過度なお洒落は自分のため。いいと思っているのは自分だけ。自分に見合ったお洒落はある。
選択の幅が広がるということだ。1000円と100万円では買えるものの幅が違う。同じものでも、質の高いものが手に入る。豊かとは、自由を選択できるということ。自分の好きな時に、自分の好きなだけ、自分の好きなものを手にすることができる。人の歴史は、自由への餓え。
芽が出なければ、さっさと次の石に飛び移れ!「石の上にも三年」ということわざ。耐えるのが好きな日本人には大好きなことわざ。けれど、できないものはできないし悪いものは、いつまでたっても悪い。成果が出ないということは、向いていない確率が高い。それでも、食らいつくのかは自分のセンスでもある。
同じなのに、1位を目指すほうが、楽しい。100位から50位を目指すのと、100位から1位を目指す労力は、同じ。目的地が違うだけで、かかる時間は同じ。瞬発力の違い。一定期間ダラダラやるのと、一定期間ガッツリやるの違い。人間は楽したいから50位を選ぶ。
立派な才能。積み上げれば天才も越えられる。実力が100で、年10%の複利で成長するとする。1年後で110。5年間後161。7年後で195の約2倍の実力になっている。年10%アップなら現実的な数字。ひと月に1%アップを目指せばおつりが返ってくる。1%を30日で割ると、1日0.03アップを目指せばいい。1日0.03何かすればいい。
自分自身に興味津々なのだから。人の成功話で盛り上がってしまう。すると、なぜかチンケな自分が成功者ぶってしまう。数分後、虚しさだけがやってくる。他人の人生を語って小満足しても何も変わらない。小満足すると、行動力が鈍る。
努力に無関係でスタートラインとして必要なのだ。最低限の才能とは、「一般的にすごい」と言われるレベル。「一般的にすごい」は、全国で見るとスタートライン程度。「一般的にすごい」は、全世界で見ると微々たるもの。一般的な才能を磨くよりも、自分の勝てる土俵を創ってしまったほうが早い。人生はそんなに長くない。
世間体のために、自滅する。世間体の為に生きていると、「分不相応」になる。自分の身の丈に合ってないわけだから最終的に、自滅する。誰のせいでもなく、自分のせい。自分で自分の首を絞めている。人と比べる必要はない。