学校の勉強ができたかどうかの差ではなく、「好きなことを仕事にしているか否か」の差の方が遥かに大きい。学校の勉強は、誰かの為の勉強。好きなことの勉強は、自分の為の勉強。「勉強」ですらない、やりたいからやる。好きなことなら、出来不出来は気になる。嫌いなことなら、出来不出来は気にならない。
今あなたが幸せな人生を送っているか、不幸な人生を送っているかが一発でわかる方法がある。朝、飛び起きてしまうような人生なら、目覚めはいい。目覚めがいいから、人生が楽しくなるのではなく、人生が楽しいから、それに追従して朝の目覚めが良くなる。人生が楽しくなければ、それに追従して朝の目覚めも悪くなる。朝の目覚めに人生が表れる。早起きは三文の徳ではなく、早く起きてしまうような人生が得。
間違いではない。誰も正解が欲しいわけではない。誰もは、納得したいだけ。間違っていても、納得できればそれで満足。どんな悲劇に見舞われても生きているってことは、納得しているということ。間違いくらいでは、ゲームオーバーにはならないから。
同時にNOと言われる経験をしておくことが大切です。NO!と言われた側の気持ちがわからないと、それは、いじめになってしまう。NO!と言う側の気持ちにならないと、それは、逆ギレになってしまう。NO!というポジティブワードは、NO!の気持ちがわかる人に権利が与えられる。NO!の気持ちがわかっていれば、NO!を言われても、NO!を言っても、ゲームオーバーにならない。無限コンテニューモード。
大切なものを手に入れるための積極的な行為であって、逃げることとはむしろ対極です。断ることは消極的行動ではなく、積極的行動。断り下手な日本人とっては、断ることは負けを意味する。けれど、それは一面的結果に過ぎない。多面的に考えたら、必ずメリットが存在する。むしろ、行為と反して結果がでることがある。
は裏を読もうとしますが、罵詈雑言に関しては言葉をそのまま受け取ろうとします。人間はとても素直なあまのじゃく。ネガティブには敏感でポジティブには鈍感。飢餓時代がDNAに刻まれている。「食べ物が無くなったらどうしよう!?」常に不安を付き物にさせた。
本来の自分ではなく、他人の目に映っている自分こそが、現実だということになります。生の自分は自分で見ることができない。自分以外の相手しか、生で見ることができない。生の自分とは、他人から見た自分のこと。他人から見た自分が現実。他人が評価した自分が現実。今起こっている事実が、現実。
自分では一生見ることができない。鏡に映っても、カメラで撮っても、ビデオで撮っても、それは生の自分ではない。自分にとっての自分ではなく、自分とは、相手にとっての自分。相手が見た自分が、自分。相手が自分と一緒にいて、幸せなら、自分という存在は幸せ。相手がいて、自分が認識できる。
同じことを繰り返してしまう生き物です。危険を避けるために、なるべく冒険しないために、同じことを繰り返す。現状維持という安心を繰り返すのが、人間の本能。何かを変えたい理性と何も変えたくない本能。人生を変えるために、本能を知る。抑え込むのではなく、包み込んで、咀嚼する。
「本音の理由」であることと、「理由が一つだけ」であること。断りには、潔さだけが必要。潔く本音と理由述べる。断る断らないの成否ではなく、誠実さの有無。断るのが下手なのは、相手へフォローではなく、自分へのフォロー。恐れから愛は生まれない。
相手の期待値は上がっていく。待たせれば待たせるほど、相手はあきらめてくれるのではないかと思ってしまう。その逆で、誘う方は「断らないのだから、見込みあり」だと思ってしまう。恋愛にも似た、この感情。初頭で決断してあげるのが最高の愛。迷ったフリは、相手の為ではない。自分の為。
する。やらなければならないことを、頭の中で整理しようとしてもなかなかできない。思考は常に進行形なので、整理できない。やらなければならないことを視覚化することで、思考が目の前の現実に向く。それ以外のことを考えないので、やらなければならないことが整頓されていく。紙に現実化させると整理され、頭の中が整頓される。
守る。一日が終わり、残った時間を自分の時間にするのは、難しい。普通に生活していれば、ほとんど残らない。だったら、最初から自分の時間を確保しておく。最初から確保しておけば、他人から時間を奪われそうな時、「No」と言える。目的がなければ、流されて他人の人生の奴隷。
で判断してもらう。まっすぐな目線=素の自分。素の自分で判断されて、ダメなら目の前から消えてくれる。良ければ、付き合いが始まる。それも、苦のない付き合い。お互い苦がないから、そのままの自分を出せる。相手もそうしてくれる。
うまくいくという法則は、ピタリと当てはまっています。いい部分70%だと、あと30%。いい部分30%だと、あと70%。いい部分100%だと、もういい部分が入らない。空白があれば、これから埋めていくことができる。「第一印象はすべて」なのかもしれない。
ではなくて、お互いの敬意と感謝があるために、明るい空気を醸し出すのです。言葉は、「感じる」ことができる。会話は、算数や数学ではなく、化学に近い。質問Aに対して、必ずBにはならない。答え一つで、化学変化が起こる。それは、相手が感じる生き物だから。
ポジティブなものです。断ることがネガティブなのは、そう思わされているから。断ることで、何かとんでもない災いが起きると刷り込まされている。そこにあるのは、断らない雰囲気、断らせない雰囲気がある・・・だけ。断らなくても起こる弊害と、断っても起こる弊害がある。断らなくても起こる恩恵と、断っても起こる恩恵がある。
とは、自分の意見を相手に押し付けようすることと、何ら変わりがありません。Noと言えない雰囲気は、押しつけである。Noと言わないYesマンのコミュニケーションはコミュニケーションではない。言いたいことを言える雰囲気こそ、コミュニケーションの場と言える。それは、職場であっても家庭であっても、おばさんの井戸端会議であっても。反対意見が出るからこそ、違った視点が生み出される。
自分が好きなことをして生きるということです。自分が好きなことをしていれば、我慢がない。我慢がないということは、素直に生きているということ。自分に素直だから、他人の素直さに寛大になれる。自分にウソをついて、我慢していると相手にも我慢を強要してしまう。自分にしたことを、相手にしてしまう。
必ず「誰かに嫌われること」もある。人が理論でできていない以上、必ず意見が割れる。細胞分裂の如く、いつもどこかで分裂している。好かれることもあれば、嫌われることもあるのは、当然の話。同じというのは、危険なことでもある。人との違いを気にするのに、同じでは嫌な生き物、それが人間。
ということなのだ。仕事の完成は整理整頓された状態にある。整理整頓とは、段取りのこと。何も無い状態から何かを生み出し何もない状態に持っていく。何も無い状態なら、また何かが生まれる。段取りをいいと、そのサイクルが早い。
パニックは治まる。霧の中にいると、パニックになる。方向がわからなくなるから。自分の場所がわからなくなるから。つまり、自分を見失うからパニックになる。自分が何をしたいのかわかれば、自分を取り戻せる。答えはいつも自分の中に。
やるべきことを紙に書き出す。忙しいとやることがいっぱいあるような気がする。けれど、紙に書き出してみると、3つくらいしか思い当たらない。頭の中だと無数に感じる。脳は「要素」を延々と生み出すから。紙に書き視覚化すると、そこでストップする。
待っている方が、罪が重いのだ。遅刻した人間を待っているということは、遅刻する人間に合わせるということ。遅刻する人間に合わせるということは、愛ではなく、偽善。というより、同じ穴のムジナ。合わせることが大事だと言われるが、合わせることで失うものがある。合わせないで失うことの方がいい。
「早く始めるから、早く終わる」という単純な話ではない。取り掛かりの決断が早いから、その過程の決断も早く、結果も早い。スピードに乗っているから早い。取り掛かりが早くても、決断のスピードが遅ければ、結果は遅くなる。決断が早いのは、結果にフォーカスするのではなく、感性にフォーカスする。
わけではなく、依存しているだけだから、恋人に対してもすぐに依存してくる。尊敬と依存。依存されたいと思う親と、依存したいと思う子。これで釣り合いが取れている。尊敬は一方的に行われるもの。釣り合いが取れていないのが、尊敬。
人の整理もできる。人の整理とは、不要な人脈か必要な人脈か判断できるということ。不要な人脈とは、自分の肌に合わない人脈。自分が合わせる人脈ではなく、自分が合う人脈。不要な物は、貧乏神。不要な者も同じく、貧乏神。
は、貧乏の種なのだ。モノは、買った後にもお金がかかる。「管理」「所有」するだけで、お金がかかる。使っているものに、お金がかかってもしかたない、使わないものに、お金はかかってほしくない。使わないものは、貧乏神。二伸)人間も生きてるだけで、「税金」というお金がかかる。
を知ろう。何も無いと、何かを創りたくなるのが人間。何かを創り終えると満足する。今度はせっかく創った何かを、ゼロにしたくなるのが、人間。何かあると、何も無い状態にしたくなるのが人間。創造と破壊を併せ持つのが人間。