千田琢哉名言その3592 脳の処理速度は、スパコンが40分で考えることをたった1分で考えられると言われる。しかし、スパコンの40倍の性能があるにも関わらず、使わなければ、むしろ弊害すら生む。そして使い方、使い道が、何よりものを言う。どこに向かって、何に対してという目標を定め、初めて発揮する。意識はそこに注ぐだけでいい。
千田琢哉名言その3591 相手から質問を投げかけられて即答を求められた際に、過去に読んだ膨大な読書量のゴチャゴチャの中から、 人間の頭脳と検索窓は似ている。なぜなら、特定ワードを検索した瞬間に答えが出てくるから。どちらも情報量、有機的な繋がりの差はあるものの、機能としては同じ。検索窓で、「コロナ」と入力した途端に、それに関する情報が出てくる。人間の頭脳も、「コロナ」を意識した途端に、それに関する記憶が出てくる。しかしどんなに高性能なコンピュータでも、どんなに回転の速い頭脳でも、情報をインプットしなければ、答えは出てこない。情報は、物体にエネルギーを与える。
千田琢哉名言その3590 本は人作ったものだから、人と形容できる。では、「人は本」とは、一体、どんな意味があるのか? そもそも人は、ある種の媒体である。自我を持ちながら、誰かの考えを受け入れたり否定したり、変換したり、別の誰かに伝えたりと、媒体となって情報を伝染させる。同じく本も著者と他の誰かの媒体であることを踏まえると人は本なのである。
千田琢哉名言その3589 たくさんは、「多種」繰り返しは、「大量」これらは、矛盾するどころか、共通点しかない。理由は、多種の場合、様々な種類を読むことで、様々な情報を広く浅く吸収することができる。大量の場合、同じものを繰り返し読むことで、一つの情報を狭く深く吸収することができる。前者は知識の幅が生まれ、後者は知識の奥行きが生まれる。知恵を「面」として捉えた時、幅と奥行きは同じ意味になる。したがって、多読と熟読は本来同じ行動だったのだ。
千田琢哉名言その3588 量をこなすと、必要なものと不要なものを見極めることができる。すると、同じ情報量でも、質の高い取捨選択ができるようになり、結果インプットの質が上がる。これは、反復によって得られるものであり、付け焼き刃では、このような芸当は不可能。したがって、インプットの質を上げるのは、アウトプットを凌駕した量である。
千田琢哉名言その3587 読む以外に方法はありません。物事を見極めるコツは、量をこなすしかない。なぜなら、量をこなしていくうちに、不要な部分が削ぎ落とされ、必要な部分だけが残るから。ラーメンの食べ歩きをしていれば、1軒目と、100軒目では、必要な部分だけが見えてくる。味、香り、ダシの違いが見えてくる。量をこなしていくことが、極みの極み。
千田琢哉名言その3586 そもそも「少ない」ということは、絶対値に対してではなく、相対値に対してである。つまり、「ただ文字量が少ない」のと、「文字量を少なくした」では、意味が全く違ってくる。したがって、相対値で文字量が少ない文章は、莫大な量の文字量を研ぎ澄ました結果であり、エッセンスということになる。両者を見分けるには、その言葉に対してどれだけ”ときめいたか”による。
千田琢哉名言その3585 攻めることです。「あえて」がポイント。あえて知らないふりをする。あえてバカなふりをする。あえて怒らない。あえて話さない。あえて要求しない。あえて会わない。「あえて」というのは、後の言葉を打ち消す意味があり、本音と建前で生きるための、戦略である。
千田琢哉名言その3584 です。ウソをつき続けると、真実になる。なぜなら、ウソというのは、物的証拠がない限り、そして、自分が漏らさない限り、誰にもバレないから。誰にもバレないことは、真実であり、ゆるぎない現実となる。「知らぬが仏」「信じるものは救われる」というのは、強ちウソではない。
千田琢哉名言その3583 嘘も方便と言うように、例え相手を騙しても、何か目的を達成するための便宜的な手段は、人間にとって必要不可欠。なぜなら、正論や正解で人は幸せになれないから。したがって、嘘は使い方で決まる。相手を欺く嘘は、単なる嘘だが、相手を敬う嘘は、手段である。
千田琢哉名言その3582 ということです。本は誰かの擬似体験。誰かの擬似体験には、悩みの事例が豊富にある。解答もあれば、結果もあり、人間関係のヒントとなることは間違いない。つまり本を読めば読むほど、人間関係へのヒントが手に入り、人間関係の突破口となる。そこからは、自分なりの解答を書いていけばいい。
千田琢哉名言その3581 継続のコツは、「我慢しないこと」と「淡々とこなすこと」にある。我慢しない理由は、そもそも、我慢をしなければならないことは、自分の琴線に触れないことであり、感動もなく、継続なんて以ての外だからである。淡々とこなす理由は、そもそも、淡々とこなせることは、自分の「ツボ」にはまっていることなので、感動があり、継続が容易くなるからである。我慢は排斥し、淡々を受容する。
千田琢哉名言その3580 食わず嫌いとは、イメージの好悪。嫌いは、実体験の好悪。両者は、似ても似つかないほど対極にある。ここから言えるのは、食わず嫌いから、好きが生まれるということ。実体験をすることで、自分が見つかり、過去の記憶がアップデートされる。好きは嫌いの子供であり、誰もが与えられた感情。
千田琢哉名言その3579 戻って音読してみるのは、有効です。黙読はインプットの段階の、理解。音読はアウトプットの段階の、理解。黙読だけでは、本当の理解はできない。音読だけでも、本当の理解はできない。黙読し、音読するとこで、本当の理解がある。黙読は、音読の相即不離。
千田琢哉名言その3578 そもそも、どんな学問にも共通するキーワードがある。それが、「人間」である。すべての学問の行き着く先は、人間であり、人間を知るために、勉強がある。人間が発想するものだから、当然と言えば当然。しかし、これを知っているのと、知らないのとでは、成果に大きな差が生まれる。人生は、自分を知るためにある。
千田琢哉名言その3577 をしているようなものです。人は悩みがあると、問題提起できる。問題提起すると、解決するために動き出す。どんな答えにしても、いち早く見つかる。本には解決に向かう、ヒントとなる言葉が詰まっていて、問題提起しておけば、解決の糸口となる言葉が目に飛び込んでくる。
千田琢哉名言その3576 人間の根源的な欲求は、ただ生きることではなく、よりよく生きることである。では、よりよく生きるために必要なことは何か?それは「自由」である。なぜなら、ただ生きるだけなら、奴隷でも生きられるが、よりよく生きるためには、「自由」が欠かせないからだ。「天職に就く」「趣味を仕事にする」「好きな仕事をやる」「楽しい仕事をする」といったものは、すべてよりよく生きるための発想である。
千田琢哉名言その3575 なぜなら、本を読むことで、著者の擬似人生体験をしていることになるから。偉大なる経営者の本を読めば、その人が抱えた悩みを擬似体験できる。コミュニケーションの達人の本を読めば、その人がぶつかった悩みを擬似体験できる。元気の出る言葉を綴る著者の本を読めば、落ち込んだ時の対処法がわかる。本は出版された瞬間から、独り歩きする。
千田琢哉名言その3574 本は、単に活字の羅列ではない。そこには、物語があり、意図があり、著者の感情、思考、嗜好が詰まっている。したがって本をプレゼントする行為は、本の内容だけでなく、著者自身のセンスもプレゼントすることになる。奇抜な考えの著者であれば、奇抜さをプラス。カッコイイ考えの著者であれば、かっこよさをプラス。新進気鋭な考えの著者であれば、勢いや活気をプラス。ひとつの本で、たくさんの付加価値がつく。
千田琢哉名言その3573 なぜなら、他人に話し、アウトプットすることで、インプットの質が高まるから。人はどうしても自分の理解の及ぶものしか、選択しない。したがって、他人から直言されなければ、本当の意味での理解を怠る。学校の宿題は、先生が見るから、やるようになる。会社は上司(トップ)がいるから、精が出る。人は何かのためじゃないと動けない。
千田琢哉名言その3572 借りるという行為は、他人に管理されることを形容する。なぜなら、借りるということは、責務を放棄することを意味する。賃貸、レンタカーに始まり、シェアリングサービス、snsなど、すべて他人に管理されながら、サービスを受ける。会社の従業員もまた、会社に管理されながら、収入を得ている。すべてを自分のモノにしたければ、責務を負う必要がある。
千田琢哉名言その3571 体に汗をかくということは、逆に言えば、効率が悪いということ。効率が悪いから、余計に体に汗をかく。あらかじめ、脳みそに汗をかいておけば、効率が良くなり、体に汗をかく。もっと効率よく脳みそに汗をかいておけば、体に汗をかくことすらない。
千田琢哉名言その3570 なぜ身近なのか?それは、身近は自分の人生の集大成だから。そもそも身近の構成要素は、自分が創り出したものでできている。自分の才能、能力、趣味嗜好、好悪、善悪、が自分の身近を創っている。したがって、現実を変えたければ、身近を変えるしかない。身近を一変させれば、良くも悪くも、人生は変わる。
千田琢哉名言その3569 自分探しの旅で、自分はみつからない。なぜなら、世界のどこかに自分の欲するものがあるわけではないから。自分の欲するものは、自分の中にしかない。厳密に言えば、自分の欲するものは、自分の頭の中にしかない。感情というより思考。したがって、自分探しをするのであれば、自分の思考が網羅された「自分の本棚」にある。自分の本棚=自分の思考の中に自分がいる。
千田琢哉名言その3568 他人は自分を映す鏡なら、本棚は自分の将来を映す鏡となる。なぜなら、その本棚(他人)は、他でもない自分が顕在化したものだから。ビジネス書が好きで、ビジネス書が並んでいれば、無意識でビジネスでの成功を求めているから。小説が好きで、小説が並んでいれば、無意識で空想の世界を求めているから。それら延長線上にあるのは、並べた本みたいな自分である。
千田琢哉名言その3567 なぜ自分に正直になると、幸せになれるのか?それは、自分に正直になると、好悪が明確になるから。好悪が明確になれば、人は建て前で生きる事なく、好きなことに没頭できる。好きなことに没頭できれば、幸せを感じることができるのだ。したがって、幸せになりたければ、素直な自分と対話しなければならない。無意識との対話である。
千田琢哉名言その3566 人生は選択の連続。先天的に与えられた才能や環境が、人生に大きな影響を与えることは間違いない。しかし、自ら決めた選択肢によって、未来を変えることはできる。したがって、選択する前の決断が重要となる。そしてそれら決断を支える判断は、日頃、何を考えているかによって決まる。人生はすべて、小さな事で創られる。
千田琢哉名言その3565 名作はいつも隠れた場所にある。なぜなら、名作であるがゆえに、無くそうとしても無くならず、隠そうとしても隠しきれないから。したがって、目につきやすい場所ではなく、人目につかない場所にこそ、名作は存在する。逆に言えば、名作を作りたければ、人目につかないが、必ず自分の居場所があるよう仕向けることが重要となる。いかに生き残り続けることができるかにある。
千田琢哉名言その3564 売れるという自体に価値がある。なぜなら、単純に経済効果が得られるだけでなく、その裏にある、人々のニーズが判明するから。したがって、ベストセラーを意識するだけでも、世相が見えてくるのである。「あの人は流されやすい」と思われるのが嫌で、ベストセラーを避けるのは、別の何かに流されている。
千田琢哉名言その3563 「売れているから、凄い」のと、「凄いから売れる」は、似ているようで似ていない。なぜなら、いくら凄いものでも、売れないものは売れないから。反対に、「こんなものが」というものが、売れていたりするので、売れているから凄いのである。あくまで「売れる」ものにこだわる。「なぜ売れるのか」を考えることに価値がある。