2015年04月22日22時13分33秒0019_R
本当の無礼講など、
存在しないと考えていい。



無礼講とは、あって無いようなもの。
無くてあるようなもの。

無くてある場合、
本当に取り返しのつかない事態になる。

あって無い場合、
無礼講と言った本人の建前ということ。

人間はどこまで行っても、
本音と建前でできている。

無礼講になれるのは、無礼講でも許される存在。

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