自分では一生見ることができない。鏡に映っても、カメラで撮っても、ビデオで撮っても、それは生の自分ではない。自分にとっての自分ではなく、自分とは、相手にとっての自分。相手が見た自分が、自分。相手が自分と一緒にいて、幸せなら、自分という存在は幸せ。相手がいて、自分が認識できる。
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