Q.2歳の子を持つ父親です。子供と公園で遊んでいる時、とても無意味で生産性のない時間だと感じる時があります。父親失格でしょうか?
千田琢哉名言その1993A.その気になれば、

になるのだ。
ゆうそ考察)
仕事にしても、日々の生活にしても、趣味にしても、
「意味がある」「意味がない」と決めるのは自分です。
自分にとっては、最高に意義のあることをしていても、
誰かにとっては、無意味で無機質なものだと感じることもある。
その事柄に意味をつけるのは、誰でもない自分だからです。
そう考えると、今過ごしている時間は、たとえ自分のやりたいことでなくても
そこに意味づけをするのは、自分です。
子供と公園で遊んでいる時、意味のないマンネリを感じだとしても、
子供の些細な成長、空の色、花の美しさ、風の心地よさ、
太陽の温かみ、過去を懐かしむ、人生の意味、今ここにいることの意味。
考えることは、たくさんあり、そこからの学びもある。
何の学びに気づけるかが、意味のある時間に転換できる力です。
それは、人生すべてに日常すべてに言えることです。
バークリの「人知原理論」に
「存在することは知覚されていることである」という言葉があります。
私たちは、りんごが存在するから、それを知覚できると考えています。
しかし、実際のところ誰かが知覚する前にリンゴの存在を確認することはできません。
りんごの存在の前には、必ず私たちの知覚がある。
物が存在するから、見えるのではなく、見えるから存在できるという理論です。
つまり知っていれば、気がつくことができて、
知らなければ気がつくことができないということです。
気がつくことができないということは、存在しないのと同じです。
いかに、知ることが、知覚することが、気がつくことができるかが、
人生を豊かにする方法だと思います。
コメント